「一つは現実との乖離があると思います。都市部に住む、比較的高学歴の人たちは、ITはじめ多くのテクノロジーに囲まれた生活を送ることができますが、一方で農業テクノロジーが使われている現場からは離れています。依然として農業は従来のイメージのままなのでしょう。一方で、週末に郊外に行けば、畑を耕して土に触れ、雑草を抜いて、収穫をして……と農業をした気になれる。グリーン・ツーリズムには、人々の交流や地域活性化などプラスの側面もありますが、農業に対するロマンも膨らむのではないでしょうか」とヒッデ氏。
つまり、園芸療法と食糧生産のための農業を混同してしまっているということか。
「食育の一環として農業体験を経験することは非常に重要です。一方で、約80憶もの世界の人口を支えることと、環境負荷の低減、その両立を目指す効率的な食糧生産技術をいかに確立させていくか。これは区別して考えていかなければいけません」とカーステン氏は話す。
「GM=汚染物」のイメージ
農業に対するイメージ同様、GM作物に対するイメージも一度こびりついたものは、そう簡単に拭えないだろう。「反対派の多くの人は〝GM作物=汚染物〟だと捉えているのではないか」とカーステン氏。
オランダではEUのオーガニック認証制度やEKO認定など、複数の食品ラベルがあるが、日本と同様、GMのメリットをあえて明示するものはなく、カーステン氏は「農薬の削減、労働力の削減などGMのメリットを逆にアピールしても良いのではないか」と言う。ヒッデ氏は、「私はGMを推進したいわけではなく、あくまで中立な立場として、消費者が個人の素直な心情に従って選択できることが大事だ」と話す。
GM食品の表示をめぐっては、国際的にも多くの議論が巻き起こってきたが、消費者の選択の自由を守るためにGM作物とそれ以外を区別するのであれば、たしかに「GM作物です」と表示しても良いはずだ。だが、日本ではご存知の通り「遺伝子組換えでない」というフレーズが定着している。そう示せば「組み換えでない」方が「いい(無難)」という優良誤認を招くのも無理はない。
さらにGM作物混入率が5%以下の食品でも「遺伝子組み換えでない」と表示でき、0%だと解釈する消費者の誤解を招く点も指摘されてきた。そこで23年4月からは不検出でない限り、「遺伝子組み換えでない」という表示はできないように厳格化される。ちなみに、混入率についても「混入」と言うのか、「混合」と言うかで、また随分と印象が変わるのではないだろうか。
抜け出せない「立場」
農業やGM作物に対するイメージを更新していくことは必要だろう。だが、バイオテクノロジーに否定的な人が、いまだ古いイメージの中にいて事実を見ていない、と決めつけるのも短絡的だ。映画「Well Fed」を視聴したGM反対派の人からは、こんな本音が寄せられたという。
「このドキュメンタリーを見て、GMに対する私の考えは変わりました。でも、反対派として30年も活動してきたので、そう公言することはできません」。ヒッデ氏は、特に反対派のコミュニティに身を置いている人にとって、考えを変えることは自分自身の過去を否定することになり、簡単ではないと言う。
こうした事情を鑑みずに、もし仮に、研究者や技術者など科学リテラシーの高い(と自負する、あるいは他者からそう見られる)人が、テクノロジーに対する理解が得られないからと言って「それは知らないから、分かっていないから」と上から目線の態度を示せば、対話の道が遠ざかることは目に見えている。
一方で、映画「Well Fed」に登場する反対派のNGOメンバーは「多くの科学者が賛同してくれています」「これは科学者の研究結果です」と、たびたび〝科学〟を持ち出す。まるで科学を笠に着て、けん制しあっているように見えるのは、杞憂だろうか。