語り手・野口亜弥
聞き手/構成・編集部 野川隆輝
兄がサッカーをしていたこともあり、3歳からサッカーを始めました。高校時代は、チームで全国大会に出場すること、個人では日本代表に選出されることを目標にサッカーに打ち込んでいました。でも、それとは別に、もう一つ目標がありました。それは「筑波大学への進学」です。
サッカーを始めてから小学生の間は、地元の男子チームに混ざって練習をしていましたが、中学生になってからは女子チームに所属しないと試合に出ることができませんでした。そこで、大人のチームに混ぜてもらうことになったのです。それが、筑波大学のOGの方々のクラブでした。年齢が離れた私をとても可愛がってくれ、面倒を見てくれました。
それが進路にも大きく影響しました。中学1年生からは、自分もそうなりたいという憧れがあって、高校の進学先も文武両道を目指せることを決め手に選びました。入学後もサッカーだけでなく勉強にも一生懸命励みました。サッカーの強豪に行こうとすれば、早稲田大学なども候補になり得ますが、自分自身の経験から筑波大学には多くの魅力を感じていました。
一方で、高校時代は世代別の日本代表を目指しましたが、その目標は達成できませんでした。プロサッカー選手を目指す選択肢もありましたが、実力を客観的に見てどこか限界も感じる年頃だったこともあり、それならば、ということで、大学卒業後は視野を広げるためにもともと興味があった米国留学をすることを決意しました。
米国留学で広がった
サッカーとスポーツに対する視野
米国では、言語として英語を身に付けることはもちろん、スポーツマネジメントなどを学びました。大学のチームに加え、ニューヨークのセミプロチームにも所属してプレーは続けていました。そこで実感した日米の差が、日本の部活動に見られるようなスポーツ活動に内包される「教育的視点や価値」が米国の部活動には実はあまり見られないことでした。一方でスポーツを活用して子どもの居場所づくりや教育をサポートするNPOは多くありました。そこで、夏休みなどの空いた時間でNPOが主宰するインターンに参加することにしました。
米ニューヨーク州には、経済的にあまり裕福でない人が多く暮らすハーレムという地域があります。当時は週に1度は銃声が響くような、決して治安が良いとは言えない場所でした。子どもたちの中には家庭環境が不安定で、犯罪に巻き込まれたり、自らが犯罪集団に入ってしまう子もいるような地域です。
そうした地域でサッカーと教育的価値を盛り込みながら活動していました。ハーレムの子どもたちにまず必要なのは、放課後など大人の目が届きにくくなった時間帯に「ビジー」な状態でいることです。つまり、「何かをやる時間をつくる」ということです。
サッカーはボール一つで気軽にできるし、それなりに人気もあるチームスポーツなので、多くの子どもたちが関われます。ボールを上手に止めることや強くボールを蹴ることなど、技術的な「上達」を目指すわけではなく、パスする相手に伝わるようなアイコンタクトやジェスチャーができたか、参加者全員が楽しめるようにコミュニケーションをとれたか、などリーダーシップを養うことが目的です。
それ以外にも、「サッカーを楽しむためには健康が大事」だということを伝えながら、栄養のバランスを心掛けた食事を摂る重要性を働きかけるような食育もしました。
さらに、子どもたちが地域の人たちと一緒に掃除をしたり、ポエムなどを通して自分の考えを表現したりすることも大切にしていました。こうした活動は、読み書きの能力を身に付けることにもつながります。サッカーを軸にしながらも、こうした幅広い活動に参加できたことは、サッカーやスポーツが持つ可能性の大きさを感じた経験でした。