民間インフラ狙いへと変えたロシア軍
ロシア軍がウクライナの民間インフラ攻撃に舵を切ったのは10月10日のこと。報道によると、この日はキーウ市中心部にある大型ビルがミサイル攻撃を受けたほか、市民が集う公園などにもミサイルが着弾した。4月以降は比較的平穏だった市民の生活は一変した。
ただキーウ中心部への攻撃は市民に恐怖心を植え付ける程度の狙いだった可能性が高い。ロシア軍はそれ以来、攻撃を郊外の電力施設に集中させた。
主な標的となったのは防御態勢が脆弱な送配電インフラだ。攻撃は全土の主要都市に対して行われていて、ウクライナ国内では電力インフラが連鎖的に制御不能になるブラックアウトを避けるために、計画停電が頻繁に実施されるようになったという。
今年のウクライナは、秋は比較的温暖だったが、11月下旬から気温が急激に下がり、各地で最高気温が氷点下を下回り降雪も本格化した。11月23日に行われた大規模攻撃では、一時的にブラックアウトが発生し、全土が停電に陥った。ロシア軍はミサイルやドローンが枯渇しつつあるとの報道もあるが、それでも攻撃は続いているのが実態だ。
非軍事施設を意図的に攻撃する行為は国際人道法に違反しており、ロシア軍の攻撃は明らかにそのような行為にあたる。しかし、ロシアの政権幹部からは「ウクライナがロシアとの交渉を拒否することの結果だ」(ペスコフ大統領報道官)、「電力インフラはウクライナ軍の戦闘行為を支えている」(ラブロフ外相)などと、開き直りともとれるような発言が相次いでいる。
非情な攻撃は打つ手なしの表れ
国際的な批判を浴びながらもウクライナの民間施設への攻撃に注力する姿からは、それだけロシア軍が焦りを募らせている現状が浮かび上がってくる。ロシアは〝ほかに打つ手がない〟状態に陥りつつあるのが実態だ。
ウクライナ東部で占領地を拡大していたロシア軍をめぐる状況が激変したのは9月中旬のことだ。東部ハリコフ州でウクライナ軍が奇襲をしかけ、それからわずか数日で3000平方キロメートルの領土奪還に成功した。
米英による長距離多連装ロケットの供給が進み、長距離からロシア軍の弾薬庫などを確実に攻撃できるようになったことで、ウクライナ軍の奇襲攻撃が急激に効果を発揮しはじめたことが背景にある。数で勝っていたロシア軍だが、装備を残したまま退却を余儀なくされるなど、激しい混乱に陥った。
ウクライナ軍の攻勢は南部でも鮮明になった。南部の要衝ヘルソン市をめぐり、ロシア軍は11月上旬に撤退を決定。ドニエプル川の対岸への移動を余儀なくされた。撤退時には商店やオフィス、民家の資材を略奪していった様子も明らかになるなど、軍としての規律のなさが浮き彫りになった。
さらにロシア軍は、ドニエプル川に架かる橋を破壊してウクライナ軍の進軍を困難にしたと思われたが、12月初旬にはウクライナの特殊部隊がすでに、対岸に進軍していた映像が公開され、ウクライナ軍が南部でもさらに攻勢をかける可能性が高いとみられている。ロシア軍はヘルソン市街に向かって攻撃を続けているが、ヘルソン市の民間インフラを攻撃しているだけで、軍事的な意義は低い。
そのようななか英国防省は12月9日、ロシアが2月24日の侵攻開始以降に占領した領地の最大値の54%の奪還に成功したと発表した。依然としてウクライナの国土の18%はロシアの占領下にあるが、2月以降のロシアの侵攻が不調に終わっている実態が浮かび上がっている。