2024年11月24日(日)

医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から

2023年1月7日

 WHOをして「疾患ではない」と述べさせたのがマスラックである。バーンアウトを「疾患でない」という理由は、その人が疾患として診断されれば、周囲から「悪いのはあいつ、会社ではない」と判断されかねないからである。

 「あいつは病気なんだろう。じゃあ、治療してもらった方がいい」、「働けないだろう。何しろ病気だからな」、そしてついには、「やめてもらうしかない。患者だからな」というふうに、本人を離職へと追いやるかもしれない。一方で、職場環境の問題は等閑に付され、個人の治療責任ばかりが強調される。

 『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌は、19年にバーンアウトを特集している。この雑誌は、ハーバード・ビジネス・スクールの機関誌であり、経営管理論や組織行動論をフィールドとしている。同誌がバーンアウトを特集したのは、「働く人のうつ」を経営学の問題と見なしているからである。世界的なビジネス・スクールが、バーンアウトを人事管理の課題とみており、組織経営を揺るがす脅威と捉えているのである。

経済立国日本の立ち遅れ

 日本の場合、「働く人のうつ」を経営の問題として考える視点は皆無であった。これまで「働く人のうつ」に関わってきた人は、精神科医であり、産業医であり、産業カウンセラーといった人たちであった。

 この人たちは、的外れなことに、「働く人のうつ」をもっぱら当該従業員の病理に帰し、最終的な治療責任をその人個人に返してきた。要は、職場でうつになるのは、その人が精神医学的に病んでいる、ないし、心理的に弱いからであり、病気を治す、ないし、強い心を作ることが必要だ、そのためには「しっかり努力してくれたまえ」という考え方である。自己責任論そのものである。

 しかし、「働く人のうつ」は、解決を自己責任にゆだねるべきではない。そもそもゆだねても解決しない。それは、個人の内部から自然発生するものではなく、職場に明白な要因があって、それによってもたらされる。具体的には、過重労働、過度の効率追求、過度の成果主義、職場の対人関係などである。

 これらの要因は、普段は一見すると見えにくいが、バーンアウト事例は「炭鉱のカナリア」のように誰よりも先に危険を知らせてくれる。それを個人の病理に帰して職場から追い出すことは、鳴かなくなったカナリアを、ただ炭鉱から出して、ほかに何もしないのと同じである。炭鉱なら爆発事故が起きる。職場では、早晩、次のバーンアウトが出るであろう。

 バーンアウトは、何よりも経済界が取り組むべき課題である。さもなければ、経済立国日本が衰退する。

 企業だけが富を生む唯一の主体であり、したがって、日本の将来は個々の企業がいかにして利益を上げるかにかかっている。企業にとっては、個々の従業員こそ利益を生む主体である。利益は彼らの生産性にかかっている。


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