ランドルフは、世代が上の視聴者にもお馴染み、とはいえハリス副大統領の「肯定的なモノマネ」芸で有名であり、保守派としてはラフィンを追い払っても、似たような「嫌な奴」が来たということになるかもしれない。一方で、キャラクターの中にはLGBTQを入れるという説もある。
全体的にまだまだ現在進行形であり、もしかするとカールソン対M&M'sの泥仕合には、第2幕もあるかもしれない。それはともかく、この問題、いかにも分断の激しい米国の「病理」であるとか、食品メーカーまでが「政治的な正しさ」に振り回されるという米国市場の「面倒臭さ」という印象を与えるかもしれない。
だが、そう単純な問題とも言えない。今回の騒動には3つの背景が指摘できる。
行われていた企業の緻密な計算
1つは世代間の問題である。日本でも、地上波TV局や雑誌などの出版社が、ここへ来てマーケティングの主要な対象を、引退しつつある高齢世代より若者世代の掘り起こしにシフトを始めている。米国の場合は人口ピラミッドがかなり均一であり、ミレニアル世代に続いて、Z世代が消費市場の主役となりつつある。
M&M'sのような80年の歴史のあるブランドも、革新を続けなくては、こうした世代交代の流れに取り残されてしまう。そんな中で、カールソンの「売ったケンカ」をまるで買うかのように、一旦は「キャラクターの全面廃止」をチラつかせつつ、「スーパーボウルでのカムバック」などという派手な仕掛けを行っているのは、その全体が若者の注目を得るためのマーケティングであると言える。
カールソンの批判が「高齢の保守層」に媚びるものであるのはミエミエである以上、マース社としては、引くに引けない戦いであるとも言える。何故なら、チョコ市場の中でZ世代と高齢者のどちらが大事かということでは、明らかに若者を重視したいからであろう。
2つ目は、そのスーパーボウルの重要性だ。今年のスーパーボウルは、ほぼ100%ポストコロナの社会を達成した米国に取って、マーケティング上、極めて大きな位置づけとなっている。奇しくもその9日前の2月3日には、米国経済は1月の雇用統計において、3.4%という1969年以来という空前の「低失業率」を達成していることを示していた。
米連邦準備理事会(FRB)はインフレ退治のために、「不況入りも辞さず」という構えで利上げを続け、実際にハイテク系では大きなリストラも始まっていたのだが、この「低失業率」が示しているのは、米国の景気の底堅さである。このスーパーボウルの広告枠を使ったTV商戦の意味は、「不況へ向かうのか、それとも踏みとどまるのか」という意味でも、極めて大きい。
たかが菓子メーカーといえども、M&M'sを要するマーズ社にとって、このスーパーボウル商戦の位置づけは大きいに違いない。だからこそ、ここまでの仕掛けを仕込んだのであろう。
そんな中、スーパーボウルは、イーグルスとチーフスという、最も話題性のあるチーム同士の対決となった。とりわけ史上初のアフリカ系クオーターバック(QB)同士の対決となったことは大いに注目されている。国民的行事とも言えるハーフタイムショーは、アップル社が協賛してR&Bの新女王というべきバルバドス出身のリアーナが務める。
米プロフットボールリーグ(NFL)も時流に乗らねば生き残っていくことはできないわけで、巨大なカネがより若い世代向けのマーケティングに回っているのである。M&M'sとしては、これに乗らない訳には行かないというわけだ。