サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会決勝で、連覇をかけるフランスがアルゼンチンにPKの激戦の末に敗れた。フランス国内は盛り上がりを見せていただろうが、それと同時に、別の問題も起きていた。
準決勝で、フランスがモロッコを2−0で下し、決勝進出へ駒を進めた。モロッコはアフリカ勢で初となる4強入りの快進撃をもたらしたことから、フランスや隣国ベルギーでは、多くのサポーターが大暴れし、警官隊員らと衝突した。
フランス南部モンペリエでは、モロッコファンの14歳の少年が、暴走する車に轢かれて死亡する事故が起きている。フランス国内で、約1万の警官隊員が警備にあたったが、結局、犠牲者を生んでしまった。
なぜ、各国のテレビや新聞は、こうしたモロッコ代表サポーターの熱狂ぶりを連日報じてきたのか。それは、フランスとモロッコが旧宗主国と旧植民地の関係にあり、単純にスポーツの勝ち負けではない「歴史的な戦い」が繰り広げられていたからだ。
その過去の副産物に加え、フランスという国は、日本人が想像している以上に多民族・多文化国家であり、アフリカ、アラブ、アジアにルーツを持つ移民2世や3世がフランス人として生まれ育っている。日本のように、「日本人が勝った」という感覚とは異なるのが、フランスという国なのだ。
旧宗主国vs旧植民地
まずは、フランス対モロッコがサッカー以外の視点でも報じられてきた内容について、見てみよう。
仏国立統計経済研究所によると、人口約6700万人のフランスには、約760万人の移民の子孫がいる。中でも、モロッコ系フランス人の数は、2019年の時点で約170万人が住んでいるという。
この国では、人種や宗教を基にしたデータを公表しない慣しがあることから、正確な数字を把握することは難しい。アルジェリアとチュニジアを含むマグレブ(北西アフリカ)諸国の移民は、約530万人とのデータがあり、イスラム教徒人口で見ると欧州最大の1200万人ともいわれている。
歴史を遡ると、フランスは1907年にモロッコに軍事侵略しており、12年には国土の大半を植民地化している。その後、両国は争いを繰り返し、56年になると世界的な民族独立の潮流により、モロッコが宗主国フランスから独立を宣言するに至った。
この歴史から見て分かる通り、モロッコにはアラビア語とフランス語を話す人々が多く、フランスに住むモロッコ系移民は、基本的にはバイリンガルだ。現在は、3世や4世の時代になったが、モロッコは日本同様、血統主義へのこだわりが強く、旧宗主国側で生まれ育っても祖先のアイデンティティにしがみついて生きている。