「高級」。今、家電メーカーが最も欲している市場だ。平均単価を上げることができるからだ。典型的な例は「炊飯器」だ。大火力化のため導入されたIH。その火力をフル活用するために作られた特殊素材の内釜。当然、開発費も製造費も高い。2006年、10万円以上で販売された。
しかし、これがうけた。日本人の主食であるので、ニーズがあることを当たり前と思う人がいるかもしれない。しかし、数万円差は大きい。いろいろなメーカーがどっと参入。高級炊飯器という新市場を作り上げた。
以降、TV、エアコン、冷蔵庫、洗濯機の4大家電はもちろん、オーブントースター、扇風機、掃除機など、いろいろな家電が「高級」を目指した。
そして今、一番の高級激戦区は、「ヘアドライヤー」(以下ドライヤー)だ。健康家電と同様、絶対にニーズがなくならない理美容家電で、男女共に使う最もメジャーな家電だ。この新しい高級ドライヤーの世界をレポートする。
今どきのドライヤーに求められること
ドライヤーの歴史は古く、ヨーロッパでは、19世紀末。シャーロック・ホームズが活躍した時代。日本では松下電器(現パナソニック)が1937年(昭和2年)に発売した記録が残っている。
日本で大人の女性がショートヘア(ボブスタイル)を取り入れるのは、大正時代から。そして海外では、戦争でパーマが流行る。ウェッブを付けるため、手入れが楽というのが理由だ。以降、いろいろなヘアスタイルが流行する。当然、女性は流行を追う。時を経るにつれ、流行は短期でチェンジするようになる。となると、髪をいじりまくるので、当然ダメージが蓄積され、髪は傷む。髪が傷む原因は、ケミカル、紫外線、摩擦、そして熱によるものだ。
このため、今の理美容家電は、なるべく髪を傷めないように設計される。速乾とヘアダメージないこと。矛盾する2つの課題が、今ドキのドライヤーには課せられている。
髪に関する豆知識
髪は爪と同様「角質」からできている。角質というのは表皮最外層にある角質細胞により形成されるモノをさすが、硬い、特殊な皮膚と思ってもらってもよい。髪は、毛根からどんどん伸びるが、一度髪の毛になった部分は変えられない。割れた爪を治すには、爪が伸び、割れた部分を切り落とすしかないのと同じだ。
よくヘアケアをすれば、髪の毛が再生するようなイメージを持つ人がいるが、一度ダメージを受けた髪の毛が、元通りになることはない。このため、ヘアケアで最も重要なのは、ダメージを与えないこととなる。
髪の毛は、芯がある電線に似た3層構造。最外部、電線で皮膜に当たる部分は、有名な「キューティクル」。半透明のうろこ状のものが平たく4~10枚重なって、髪の内部組織を守る。濡れると柔らかくなるため、その状態で強くこすると、キューティクルは剥がれる。髪の毛が濡れたままはダメと言われるのはこのためだ。
芯の部分は、メデュラと呼ばれる。タンパク質の多孔質構造で、ダメージを受けると多孔質構造の割合が増加する。
残りの部分は、コルテックスと呼ばれ、髪の毛の90%近くを占める。繊維構造で、タンパク質、脂質、メラニン色素があり、ここで髪の毛の色が決まる。
髪の毛は主成分がタンパク質であり、当然高温熱風だとタンパク質は劣化する。100℃以上加熱の繰り返しで、水分が抜け、空洞ができ始める。また、160℃以上になると、コルテックスの繊維が変性を始め、200℃で壊れる。
ドライヤーのスタンダード パナソニック「ナノケア EH-NA0G」
こうした状態を受け、今ドキのドライヤーは基本100℃以下の「低温熱風」、「風量を上げる」ことにより乾かします。それ以上の熱をかけることができるモデルもあるが、それは一時的なものだ。
これに加えて、多くのモデルが「マイナスイオン」発生機能を有する。マイナスイオンは、水分を引き寄せる性質を使っている。髪の毛保護には有利な方向だ。
基本的な要素を満たすドライヤーで、最も有名なモデルは、パナソニックの「ナノケア EH-NA0G」だろう。ドライヤーらしいL字形状。令和のドライヤーのアイコンと言っても差し支えないだろう。通販サイトで、3万1680円(税込)。昨年各種賞を18個ほどもらった逸品だ。
しかし、2022年6月9日に、ナノイー技術について「髪の水分量および髪の保護に与える影響に関する複数の広告表示が不正確で、消費者に誤解を与えるものであり、公正な競争を阻害するものである」として、不正競争防止法に反するとの理由で広告の差し止めを求める提訴がダイソンからなされている。
同年7月19日、パナソニックは「ナノケア EH-NA0G」の広告表現に対するダイソンからの提訴についてコメントを発表。ナノイー技術について「研究開発に裏打ちされた合理的な根拠に基づいたデータ」として、ダイソンの主張に対抗する構えだ。
逆説的な言い方をすると、そのくらい、髪の毛を傷めない機能は、ユーザーから注目されているということだ。