根拠なき楽観論は打ち砕かれた
しかし蔣介石の反応は満州事変時とは一変していた。蔣介石は中国国家の存続は今や「最後の関頭(重大な岐路)」にあると宣言すると、日本軍に対して徹底抗戦を命じた。中国軍の質も激変していた。満州事変以降、蔣介石は「臥薪嘗胆」を誓って国力の増強に励み、ドイツ軍事顧問団の指導の下で軍事力強化を進めていた。
もちろん蔣介石は国際的支援なしに独力で日本軍に勝てるとは考えなかった。満州事変時、蔣介石は無抵抗を貫くことで国際社会の介入を求め、失敗した。日中戦争に際しては、蔣介石は徹底抗戦を挑むことで国際社会の注目と同情を得ようとする。中国軍は連戦連敗するが、奥地に後退しながら抵抗を続けた。
国際社会の反応も満州事変時とは異なっていた。戦争当初、国際世論は相変わらず中国に冷淡だった。しかし中国軍が徹底抗戦を継続し、結果として生ずる戦場の惨状と日本軍の「戦争犯罪」が報道されるにつれ、国際社会の風向きは変わっていく。その結果「援蔣ルート」に代表される米英仏ソなどの対中援助体制が構築されていくことになる。蔣介石夫婦は欧米メディアに頻繁に登場し、抵抗のシンボルとなっていく。
他方、日本側の戦争指導は混迷を極めていた。日本軍は軍事力による勝利を信じて戦線を拡大したが、皮肉にも積み上がる戦果と犠牲は日中双方の妥協を困難にし、和平を逆に遠ざけた。
純軍事的な戦争終結が困難化するのと軌を一にして、陸軍は政治的文脈での解決を志向していくことになる。消耗戦争を勝ち抜くための国内体制の抜本的な改革である。
陸軍の影響下で、国民意識の統制と戦争協力を進める国民精神総動員運動(1937年)、物資動員の政策立案を担当する企画院(同年)、人的・物的資源の統制運用を可能にする国家総動員法(1938年)など重要法令と組織が次々に成立し、「大正デモクラシー」が育んだ軍人官僚(テクノクラート)(連載第4回参照)が民生部門に進出した。
こうした改革の裏には一定の国民的支持があった。それは改革が国民の愛国心を満足させるものであり、同時に社会の平準化(格差の是正)をもたらす一面があったからである。それは平準化というよりは「低準化」とでも言った方が適切かもしれないが、国民の支持(沈黙)のなかで統制は強化されていく。
政界再編も試みられた。1939年に軍務局長(陸軍の政治セクション長)に就任した武藤章は、かつて日中戦争拡大の一翼を担ってしまった責任感から、戦争終結に執念を燃やした。武藤は強力な戦争指導体制を確立するため、既成政党を再編して挙国的議会政党を樹立しようとし、新体制運動を推進した。
しかし統帥権独立を大前提とする以上、陸軍が政治を直接支配してナチス的一党独裁体制を樹立することはできない。武藤にもそのつもりはなかった。結局、武藤は既成政党勢力や官僚勢力をコントロールできず、1940年に出来上がった大政翼賛会は政治的に弱体で、全くの期待外れに終わってしまう。
戦争は陸軍自身も変えた。日中戦争でさらに加速した軍人万能の世相は「大正デモクラシー」期の自己変革努力(連載第4回参照)を押し流した。日中戦争の過酷な戦場と、戦争初期にはいまだ消費文化を謳歌していた国内社会のギャップは軍人を苛立たせ、軍人の態度は徐々に傲慢なものになっていく。
兵士に対する教育も高圧的なものに変わっていく。「大正デモクラシー」期に陸軍が目指したのは、欧米民主主義国家の軍隊に伍す「近代兵器を使いこなす自覚ある兵士」の育成であった。しかしすでに近代化の試みは挫折しており(連載第3回参照)、日中戦争以後は装備訓練で劣等の中国軍との消耗戦に対応するため、迂遠な理想主義は完全に崩壊した。一定レベルの兵士を速成して戦場に投入するために、高圧的指導はむしろ合理的な手法であったからだ。
軍事的、政治的にあらん限りの努力をしたにもかかわらず、戦争は終わらなかった。二匹目のドジョウを狙った功名稼ぎから始まった紛争は、いつしか第一次世界大戦以降最大の制御不能の大戦争に発展していた。
井上寿一『日中戦争下の日本』(講談社)
臼井勝美『新版 日中戦争』(中央公論新社)
臼井勝美『満州国と国際連盟』(吉川弘文館)
外務省編『日本外交文書竝主要文書』下巻(原書房)
桑木崇明『陸軍五十年史』(鱒書房)
杉森久英『昭和史見たまま』(読売新聞社)
髙杉洋平『宇垣一成と戦間期の日本政治』(吉田書店)
髙杉洋平『昭和陸軍と政治』(吉川弘文館)
筒井清忠『昭和期日本の構造』(講談社)
筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』(筑摩書房)
筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』(中央公論新社)
中村勝範博士退職記念論文集編集委員会編『満州事変の衝撃』(勁草書房)
中村隆英『昭和史』Ⅰ(東洋経済新報社)
波多野澄雄他『決定版 日中戦争』(新潮社)
樋口真魚『国際連盟と日本外交』(東京大学出版会)
広田照幸『陸軍将校の教育社会史』(世織書房)
80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。国家の〝漂流〟が続く今だからこそ昭和史から学び、日本の明日を拓くときだ。
特集はWedge Online Premiumにてご購入することができます。