いまだ確定途上な政権と各省の距離感
このような押したり引いたりの関係は、独立機関だけではない。政治的中立性が制度として求められる公務員制度、すなわち各省の官僚と政権との関係にも当てはまるのである。
各省は内閣の下にあるとはいえ、本来は省内で幹部にふさわしいと目される職員が昇進するという一定の人事の枠組みを持つ。また、その政策も、内閣法制局ほどではないにせよ、従来の政策を執行してきたという蓄積の上で、必要に応じて政策変更を決断する。
09年の民主党政権誕生以前は、さほど政治主導は強調されておらず、官邸はこうした各省の人事と政策の枠組みをおおむね尊重していた。だが、民主党政権が大臣・副大臣・大臣政務官の政務三役に意思決定を集中しようとしたときに、この政策の枠組みが崩れ始め行政は停滞した。加えて党内ガバナンスが不安定なために党内の意思決定も混乱し、崩壊していった。そうした状況の中、第2次以降の安倍政権は、日銀総裁・内閣法制局長官人事と同様、各省の幹部人事にも介入し始める。
ところが、独立機関と各省とでは、独立の質が異なり、政権との関係性も異なる。まず、かつての55年体制のように、官僚主導ともいうべき政策決定の仕組みではなく、民主党政権という政権交代の時代には、政治主導が意思決定の主軸となった。
次に、こうした政治主導の政治システムは絶えざる政権交代を本来前提としている。各省は、現在の与党に対しても、明日の与党に対しても同じように仕える必要がある。
第3に、そうした政権交代があるからこそ、各省には政治的中立性が求められる。そのときどきの政権に仕えるが、明日の政権にも同じように仕えるためには、政権からある程度距離を置くことが求められる。制度の本質として、官僚制に政治的中立性が求められるだけではなく、政権交代のもとでふさわしい役割を果たすためにこそ、中立性を必要とするのである。
このような政権と各省との距離感は、いまだ確定途上だ。それが、民主党政権以降の日本政治の特徴である。民主党政権時代の反省を受けた第2次以降の安倍政権は、政治主導を前提としつつ各省の政策形成をも認めた。だが、政権の関心事の中では徹底的に官邸主導で政策の方向性を図った。その際に利用したのが、内閣人事局による各省の幹部人事の統制力であった。
この関心事について、安倍元首相が目指した外交、アベノミクスを中心とする経済政策が極めて重要であった。内政では、当時の菅義偉官房長官による強力な各省への掌握が図られた。
特に政権が敵視したのが財務省であり、逆に政策形成のアイデアを出して政権に積極的に貢献したのが経済産業省である。また外務省については、国家安全保障局長となった谷内正太郎氏が外務省と政権の間に立っていた。
これら有力省と比べ、安倍派が伝統的に関心を持った教育政策における文部科学省、予算面で大きな比重を占めながら組織防衛的な性格が強い厚生労働省などは、与党と官邸に翻弄された。
問題は、安倍政権退陣後も政権交代の芽が出ないために、各省は政権と与党に対する従属性を強めていかざるを得ないことだ。政治的中立性が薄まり、自公政権のカラーに染め上げられつつある。いわゆる「忖度」の姿勢は、こうした条件の下で生まれ、そのまま続いている。