2024年7月16日(火)

医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から

2023年4月1日

 「父の人工呼吸器、電話で『若者に回す』」が「救うべき命の選別」だというのなら、では、「息子(14)の人工呼吸器、電話で『高齢者に回す』」はどうなのか。ケンゴ君だって「救うべき命」である。どちらが非人道的かは、考える必要がある。

 かつて、政治哲学者のジョン・ロールズは、主著『正義論』において、社会制度は最も恵まれない人々にとって最大の利益になるように作られるべきだと言った。その点は、医療も同じである。

 生存権は、すべての人に平等に与えられている。しかし、健康は平等には与えられていない。弱者と強者とには残酷なほどの格差がある。「命の平等」を保証するには、医療によって健康格差を縮小しなければならない。

ジョン・ロールズの「無知のヴェール」

 ここでは、ロールズの「無知のヴェール」の思考実験を参考にしてみたい。もし、自分の前にヴェールがかけられていて、自分について何も知らない状態なら、政策決定の際に何を選択するか、というものである。

 医療資源に関して、若年者を優先するか、高齢者を優先するか。この問題を考える際に、読者の理解を促す説明のための単純化した一例として、人間には、体質の強弱で「宮沢賢治タイプ」と「石原慎太郎タイプ」の2種があり、半数ずついるとする。

 宮沢賢治はご存じの通り、生来脆弱で入院を繰り返し、「雨ニモマケズ」の悲痛な詩を残して、わずか37歳で没した、「健康弱者」の代表である。上記のフェイクニュースのミヤザワケンゴさんも、この中に入る。

 一方、石原慎太郎は、生来頑健で、サッカー、ヨット、テニス、スキューバダイビングをこなし、都知事時代は『生きる自信-健康の秘密』(石原結實との共著、2008)を著し、82歳まで政治家として活躍し、89歳の長寿を全うした。「健康強者」の代表といっていいだろう。

 この両人を代表として、「賢治タイプ」「慎太郎タイプ」の二つの体質があり、脆弱な前者は10年ごとに半減し、強壮な後者は全員が70歳まで生きるとする。

 ここで、ロールズの「無知のヴェール」のせいで、自分がどちらの体質かを知らないとする。早世の「賢治タイプ」か、健康な「慎太郎タイプ」か、本人にはわからない。とすると、自分が「賢治タイプ」に生まれつく可能性を想定して、その健康リスクを最少化する政策を選択するはずである。では、希少な医療資源を配分するとすれば、若年者か、高齢者か。

 図「年齢別『賢治タイプ』『慎太郎タイプ』の人口推移」をご覧いただきたい。この両タイプは、誕生時は1:1の割合である。ところが、同じ時代に生まれたはずのこの人たちは、その後、大きく明暗を分ける。

 「賢治タイプ」は次々に病気に罹り、亡くなっていく。そして、70歳では100人中1人すら生きていない。欠席が多く、いつの間にかいなくなっている同級生をしり目に、「慎太郎タイプ」は、幼児期、学童期を通して健康優良児で通し、青年期は「太陽の季節」を謳歌し、成人期も「ノー」と言える強さを持ち、古希を過ぎてなお「老いてこそ人生」だと高らかに叫ぶ。

 このころには、ひ弱な同級生たちはほぼ全員亡くなっているので、そんな「賢治タイプ」がかつて自分のまわりにいたことすら忘れている。周りは全員が「慎太郎タイプ」になっている。

 人口に占める「慎太郎タイプ」の比率(図の「慎太郎率」)は、年代とともに上がり、70を超えたころには、ほぼ100%となる。こうして、「慎太郎タイプ」は健康面で強者であるだけでなく、常に多数派として発言の場を支配し、その影響力は高齢になると頂点に達する。

 人道的な観点から言えば、医療制度は、健康面で恵まれない「賢治タイプ」が利益を得られるように設計すべきであろう。一般人口に占める「賢治タイプ」の割合は乳児期に最大で、年齢とともに下がり、高齢者でゼロになる。そのため、健康弱者を救おうと思っても、高齢者のなかにはもはや「賢治タイプ」はいない。ほぼ全員が亡くなっている。


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