高齢者は、「慎太郎タイプ」ばかりである。結果として、高齢者を優遇すれば、「慎太郎タイプ」はますます長寿となり、「賢治タイプ」はますます短命となり、健康格差は拡大する。健康格差の縮小のためには、健康弱者がまだ生存しているはずの若年者を優先する必要があることになる。
医療資源の無差別配分は非人道的
『提言』では、「できるだけ多くの生命を助ける医療」が謳われている。しかし、ここは数だけでなく、倫理も問われる。「誰が真の医療弱者なのか」。それを問うことなくして、医療資源の配分問題は語れない。
すべての命は等しく尊重されなければならない。しかし、その理念を実現するためには、医療資源は無差別にばらまかれてはならない。「等しき者には等しく、等しからざる者には等しからざるように」が正義の原則であり、健康弱者と健康強者とを等しく扱ってはならない。
累進課税は、納税能力の高い人から多く、低い人から少なく徴税する。これを均等にすれば、低所得者は困窮する。医療資源も、健康弱者には手厚く、そうでない人にはそれなりに、配分されるべきであろう。
健康弱者は多大な医療資源を必要とし、そうしても若くして亡くなる。一方で、健康強者は、医療資源をわずかに使う、ないしほとんど使わなくとも、健やかな老後を迎えられる。この両者に、平等に医療資源を配分するわけにはいかない。
消費税は、収入に関わらず同一に課せられるため、低所得ほど収入に占める消費税負担が上がる。この「逆進性」に相当する現象が、もし、医療資源を均等に配分すれば、必然的に生じる。その結果、もっとも健康面で恵まれない「賢治タイプ」が、多大な不利益を被ることになるのである。
「賢治タイプ」は亡くなるペースも早い。ランドセルを背負う前に死ぬかもしれない。恋をする機会もないかもしれない。「太陽の季節」を満喫することもなく、政策決定に参加できる年齢にすら達しないかもしれない。
一方で、「慎太郎タイプ」は強壮な石原軍団のようなものであり、どの世代においても常に多数派であり続け、その支配力は年齢が上がるにつれて際立ち、高齢に至って同世代の発言権を独占する。その結果、かつて病弱な同級生が教室の隅にいたことを覚えてすらいない。しかし、この目立たない少数者にも幾ばくかの顧慮が払われなければならないと、筆者は思う。
(なお、本稿の内容は筆者の私見に基づくものであり、筆者の所属組織の見解ではない。)