2024年12月9日(月)

医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から

2023年3月10日

 今年もまた3月になった。東日本大震災が起きた月である。あれから12年が経過した。多くの人にとって、この2011年3月11日の出来事は歴史の一ページとして、忘却の彼方に消えつつあるかもしれない。

東日本大震災発生当時の避難所の様子。被災者は今もなお「こころのケア」を必要としている(AP/アフロ)

 しかし、忘れてはいけない。被災者は、今もなお「震災後」を生きている。記憶のなかには、なまなましい津波があり、がれきの異臭があり、避難所の重い空気がある。被災者のこころに震災が影を落としている以上、こころのケアの意義は言を俟たない。

よそ者に何ができるか?

 一方で、筆者は、震災当時、このWedgeにおいて、「こころのケア」のボランティア活動に疑問を投じたことがあった(『被災者には「こころのケア」より「からだのケア」を』)。その骨子は「よそ者に何ができるのか?」ということに尽きる。

 できることがないわけではない。しかし、できることとできないことがあり、してはいけないこともある。

 当時、「こころのケア」を巡って、報道は矛盾に満ちていた。一方に、テレビは震災で家族を亡くし、傷つき、疲れ、悲嘆に暮れる人の姿を映し出した。新聞も雑誌も一斉に被災者たちの悲劇をとりあげた。避難所の片隅で、ボランティアの精神科医が話を聴き、「わかってもらえた」と涙する高齢女性が映し出された。

 こうして、メディアは、感動の映像をもって「こころのケアが必要」と説いた。その後も続々とボランティアたちが現地を訪れ、報道はそれをとりあげた。しかし、ここにおいて被災者を同情と憐憫の道具にして、ニュースバリューを高める作為がなかったとはいえない。

 その一方で、震災後の11年6月22日、読売新聞では、「拒否される心のケア…被災者、質問に辟易」との見出しが躍った。次から次へとやってくるボランティアたちに、被災者たちは辟易し、ついに「『こころのケアチーム』お断り」を宣告した。ボランティアたちは当惑し、途方に暮れ、失意とともに現地を去った。

 これを受けて、ネットでは「同情するなら金をくれ」の数々のバリエーションが躍った。「同情するなら」の後に続くのは、「金」に象徴される具体的な方策である。

 ライフラインの確保の困難な時期には、「同情するなら水をくれ」、「便器をくれ」、「灯油くれ」などの切迫した訴えもみられた。過度の自粛が経済に影響を及ぼすことを恐れた人は、「金使え」「株を買え」とも語った。かくして、テレビドラマ『家なき子』(1994年)で発せられた切り口上は、形を変えて、被災者を消費する「こころのケア」の偽善を突くこととなった。

 「こころのケア」ボランティアたちの何がいけなかったのか。それは、自分たちが被災者の目にどう映るかを意識していなかった点にある。


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