繰り返される光明と暗闇
『ヒロシマ・ノート』の扉には、16世紀のフランスのユマニスト、セバスチヤン・カステリヨンの『何を疑い、何を信ずべきか』(1562年)から次の言葉が引用されている。
後世の人々の誰が理解できましょう?
われわれが光明を知った後、再びこのような暗闇に
おちいらねばならなかったことを
これは、原爆投下後の広島の人々の苦悩だけでなく、家族の病気に遭遇した大江さん自身の苦悩を二重に表現しているのだ。
『恢復する家族』(1995年)に書かれているように、障害をもつ息子と家族の物語を小説として書くことが、大江さんに人間的な癒しをもたらしたという。ショックから紆余曲折を経て受容へと至る人生が物語へ投射されていき、大きな困難を抱えつつも成長する光さんの姿が、父親を、そして家族を癒していった。
しかし恢復までの時間は長くかかった。大江さんの作品を見ると、光さんの誕生から1年後の小説では息子に名前はなく、父親はニックネームのみである。4年後の小説で父親と母親に名前がつき、10年後の小説でようやく息子に名前がつき、13年後の小説では息子に光さんの実名が使われ、20年後の小説で息子の兄弟について語られ、30年後の作品に光さんが作曲家として登場する。
これは、大江さんが大いなる悲嘆から徐々に癒されて、家族との人生に向き合うことができるようなった魂のリハビリテーションの過程と見ることができないだろうか。
「癒す者」と「癒される者」
息子の苦痛を癒す役割をもつ父親自身が、息子から癒やされる。その父親が綴る物語(ナラティブ)が、父親だけでなくその読者をも癒す力を持つ。
同様なことが医療者と患者の間でも言える。一般的には医療者は「癒す者」、患者は「癒される者」と固定した役割として考えがちだが、果たしてそうだろうか。私自身の経験から考えても、今までに患者から癒やされるということが何度もあった。
患者が辛い障害を乗り越えた時や、患者の病気で混乱を極めていた家族が恢復していくときなどに私は癒やされたと感じた。自分のケアを必要としてくれる人がいることが癒しにつながった。そして、私自身が患者に癒やされることで、次の患者を癒すエネルギーを得ることができた。
このように、「癒す者」と「癒される者」の関係は、固定化した役割分担ではなく、しばしば入れ替わるし、同じ人間の中に「癒す者」と「癒される者」が同居していることさえある。
このような経験と考えから出発して、私は米国サウスカロライナ州グリービルの文学博士ナンシーと共に、大江健三郎さんの作品群と人生をもとに「癒す者」と「癒される者」との関係について考察した論文を書き、英国の医学雑誌『ランセット』に発表したことがある。
私たちの論文が『ランセット』に掲載されることが決まった時に、私はその論文に大江さんと息子の光さんが一緒に写る写真の掲載を希望していた。その写真がこの論文のテーマを象徴的に表していると感じたからである。
ある日、『ランセット』の編集者アンから連絡があった。「リュウキ、ダメだったわ。彼の代理人から写真の使用許可はできないって。一流作家だから仕方ないわよね」
私は諦めなかった。大江さんの代理人宛に「大江さんご自身に読んでもらって下さい」と書いてFAXを送った。この論文のテーマが「癒す者」と「癒される者」との関係であり、それを考えることがなぜケアをする私たちにとってとても大事なのかを説明して、そのテーマを象徴的に表す大江さん父子が写る写真の使用許可を「直訴」した。