2024年11月24日(日)

家庭医の日常

2023年3月31日

 すると、「あなたたちの論文への使用を喜んで許可します」という返事が大江さんから届いた。こうして、大江さん父子の写真が論文の1ページ目に載ることになったのである。

 この論文が出版されてまもなく、光さんの作曲した音楽のコンサートが札幌で開催されることになった。大江さん父子が来場することを知って、当時室蘭にいた私も会場へ出かけて行った。その機会に大江さん父子にお会いし、私たちの論文の別刷を手渡して、直接大江さんへ写真掲載許可のお礼を言うことができたのは幸せな経験だった。

失ってしまった希望を再発見すること

 「癒し」について、死生学の日本での草分けである哲学者のアルフォンス・デーケン先生(上智大学名誉教授)から、直接教えていただいたこともある。1990年代後半のある日、茨城県つくば市で開催される学会へ参加するために、東京駅八重洲口からつくばセンター行きバスに乗り込んだ時のことだ。

 偶然、デーケン先生も私と同じバスに乗っていた。一度彼の講演を聴いたことがあったので、すぐにわかった。もちろんデーケン先生は私のことを知るはずはない。

 簡単に自己紹介してお話しできるか許可を得た上で、質問した。

「今、家庭医として『癒しとは何か』を考えています。先生はどのようにお考えですか」

「とても大事なことですね。癒しとは、失ってしまった希望を再発見することだと私は考えています」

 それに続けてデーケン先生は次のように説明してくれた。

 大腸がんの検診を例にとると、最初に便をとってそれに血液が混じっていないか「便潜血検査」を行った。その時の希望が「便に血が混じっていなければいいな」だったとする。ところが、結果が陽性で、続く精密検査として大腸内視鏡検査を受けることになった。その時の希望は「精密検査で悪いものが見つからなければいいな」へ変わった。ところが、腫瘍性の病変が見つかったので生検(その一部を採取して顕微鏡で見て病理学的に診断する)をすることになった。その時の希望は「その腫瘍が悪性でなければいいな」へ変わった。ところが、病理診断の結果は悪性だった。

 この辺りで、多くの人たちは希望を失ってしまう。たとえ、ここで「悪性でも転移していなければいいな」「手術が成功すればいいな」などの希望を持てたとしても、その結果が、がんはすでに転移しているし、手術ですべての病変を取りきれなかった、となると、ほとんどの人はそれ以上の希望を持ち続けることが困難になってしまう。

 そうなった時でも、「愛する人にそばにいてほしい」とか「死ぬときに痛みがなければいいな」とか、人はまだなお希望を持つことができる。人は一度失ってしまった希望を「再発見」することができる。絶望から希望を「再発見」できた時に人は癒されるのです、とデーケン先生は言った。


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