瀬戸内海(兵庫県)と太平洋(宮城県)のイカナゴで比較してみた
下のグラフをご覧ください。もう一つイカナゴで瀬戸内海(兵庫県)と太平洋(宮城県)を比較してみます。幼魚を調理したくぎ煮で有名だったオレンジの兵庫県のイカナゴは、すっかり漁獲量が減って価格が高騰しました。春の風物詩も終わりを告げてしまうかも知れません。
青の宮城県では、上述の魚種同様、大震災後、一時的に回復の兆しがありました。しかしながら、幼魚のイカナゴを獲り続けてほぼいなくなってしました。イカナゴは20cm程度に成長する魚です。
瀬戸内海でイカナゴが減った理由として、水がきれいになりすぎたという説があるようです。しかしながら、もしそうであれば、なぜ宮城県のイカナゴも愛媛県同様にいなくなったのでしょうか?また、水がもっときれいだった室町時代や鎌倉時代にはイカナゴはもっと少なかったのでしょうか?
もちろん、プランクトン量の増減による資源量の増減はあるのでしょう。しかしながら、魚が減っていく漁業という最大の要因をスキップして、他の珍しい要因に責任転嫁しても、対策への誤解が広がるだけで、資源が回復することはありません。
日本だけではなかった乱獲
外国漁船が獲ってしまうから魚が減るというのは確かにそうです。1977年に設定された200海里漁業専管水域は、当時世界中の海に展開していた世界最大の漁獲量を誇る日本漁船の排斥が背景にありました。日本の漁船は、各国の水産資源にとって脅威でした。
ただし問題の本質は、特定の国が悪いということではなく、国際的な資源管理の仕組みが無かったことにありました。戦後の食糧不足から始まり、日本には動物性タンパク質を魚で国民に供給する必要性が生じていたのです。国別の漁獲枠でもなければできるだけ獲ろうという力が働いてしまいます。そしてそれが乱獲の一因にもなります。
同じ資源を各国が獲り合えば、それぞれが漁獲できる配分量が取り合いにより減り、ひいては全体の資源量も減ってしまうという最悪のケースに陥ってしまいます。
取り合いによって深刻な資源崩壊が起こったことで、世界的に有名なのが、東カナダ・グランドバンク漁場でのマダラ資源です。92年に禁漁となり、未だに回復待ちです。東カナダ沖の漁場は、77 年に200海里漁業専管水域が設定される以前には、カナダ船以外の漁船も、東カナダの漁場に入り乱れていました。
上のグラフのように急激に伸びた漁獲量は、200海里の設定後、外国船の排除により大きく減少しました。その後、漁獲量は安定するはずだったのでしょうが、結果はその15年後に、禁漁に至る悲惨な事態となりました。
マダラは主要魚種でしたので、漁業、加工業を始め300万人以上が仕事を失いました。カナダ史上最大のレイオフ(一時解雇)と言われています。
なぜ、200海里の設定後に悲劇が起きたのか? それは、自国の乱獲を棚に上げて外国を非難しただけであったことに他なりません。そのマダラ資源の激減の反省からできたのが、国際的な水産エコラベルとして受け入れられているMSC認証の青いロゴマークです。
次にこれによく似た日本のケースを挙げるので、何が悪かったのか考えてみてください。