2024年5月4日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2023年6月7日

中国が強めてきたアフガニスタンへの関与

 こうして中央アジア各国それぞれに近隣国への懸念を有し、ロシアとの関係も複雑化していった中、独立当初からのもう一つの重大な関心事としてイスラム原理主義およびアフガニスタン情勢への懸念があり続け、中国との関係もこの中から次第に拡大したことは否めない。

 中央アジア諸国の支配層はソ連時代からの党官僚にルーツがあり、イスラム文化については民族文化の重要要素と位置づけ復権を認めつつも、政治・社会のあり方については世俗主義志向である。しかし経済的混乱やソ連以来の社会的不公正がはびこる中、正統カリフ時代への回帰やシャリーア(イスラム法)精神の復活を説きしばしば政府機関を襲撃するイスラム原理主義勢力が台頭し、一時は緊張が強まった。

 加えてアフガニスタンではタリバーンやアル・カーイダが勢力を拡大し、多くの中央アジア諸国の原理主義者がアフガニスタンと往来して活動を強めたほか、混乱の中で現金収入確保のために芥子の栽培と麻薬密売も広がり、アフガニスタン情勢の安定化は待ったなしの課題となった。

 時を同じくして、1990年代・江沢民政権以後の中国では、「民族区域自治」の形骸化への不満が強まる一方、中央アジア諸国との国境を超えた往来も活発化し、西からのイスラム主義の流入が抗議運動に影響を与えたことは否めない。中共はこのような情勢を、新疆ウイグル自治区における「恐怖主義・分裂主義・宗教極端主義」の拡大と捉え、民族問題の緩和に真摯に取り組むよりも、むしろ事あるごとに「厳打」と称して処罰する動きを強めた。それと同時に、中央アジア・アフガニスタンを問題の源とみなし、その安定を強く重視するようになった。

 こうして、国境問題やイスラム原理主義問題への共同対処という観点から、1996年にロシア・中国・カザフスタン・キルギス・タジキスタンによる「上海ファイブ」が発足し、さらに2001年に上海協力機構へと拡大した。この枠組みはそれなりに、中露主導で各国の独立を担保しつつ反テロ・武器麻薬密輸取締をめぐって機能するようになったことから、やがてウズベキスタンも保険を兼ねて積極的に関与するようになった。

 そして2021年、中国が電撃的にアフガニスタンのタリバーン政権を承認し、アフガニスタン情勢に本格関与することにしたことも、米国や西側から見れば青天の霹靂であったものの、この時点までの中央アジア情勢と上海協力機構の動きに照らせば一つの帰結であったと言える。

日本は中央アジア安定へのコミットを

 今やロシアの衰退が顕在化した中、さまざまな形で安全保障上の保険をかけたい中央アジア諸国としては、たとえ中国のウイグル・カザフ等トルコ系民族に対する弾圧には不興を感じても、秩序維持という点では発想を共有し、「一帯一路」を通じて実利をもたらす中国との関係強化を考慮せざるを得ない、というのが実情であろう。

 中国はわずか30年で中央アジアにおいてロシアを圧倒し、しかもロシアには反対する余裕もない状態を実現したと言える。敢えて穿った見方をすれば、昨年2月4日の中露「無限の協力」宣言と、ロシアのウクライナ侵略に対して歯止めをかけない中国の態度は、ロシアに先に侵攻させて国力と影響力を削ぎ(ウクライナを援助する米欧の国力も削がれる)、中国が安心してその後を埋めるための計だったのではないかとすら思える。

 とはいえ、中央アジア諸国の発想の根底にあるのは、なるべく多角的に協力者を求めて安全保障を図るという発想である。世界中が疫病禍からほぼ抜け出した昨今、もちろん日本をはじめ開かれた規範を尊ぶ諸外国にも、中央アジア諸国との協力を拡大する余地は多大にあると思われるし、ロシアが衰退した今はむしろその好機と言えるかも知れない。

【主要参考文献】
熊倉潤『新疆ウイグル自治区』中公新書、2022年
小松久男・宇山智彦・岩崎一郎編『現代中央アジア論 変貌する政治・経済の深層』日本評論社、2004年
湯浅剛「上海協力機構の展開からみたウクライナ侵攻と中央アジア国際関係」『東亜』2022年10月号

   
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