総人口の30%が自分のアイデンティティーを先住民族と認識している?
南半球では晩夏にあたる2月初旬。現地の人々が「この時期は1日のうちに四季がある」と、言っているように真夏のカンカン照り、曇り、強風、氷雨、そして再びギラギラ太陽とめまぐるしく天気が変わる。
2月10日。クライストチャーチ近郊のサムナーで氷雨の中、雨宿りを求めて一軒家のドアをノックした。ドアが開くと、可愛らしい女性が顔を出した。彼女は大学院で先住民族の言語・文化を研究していた。放浪ジジイがアメリカ先住民のナバホ族の居留地での見聞を披露するとダイニングルームでコーヒーでも飲まないかとの“地獄に仏”のオファー。
政府の公的数字ではニュージーランド(NZ)の先住民マオリ人は総人口約510万人の17%程度だが、最近メディアが実施した聞き取り調査では回答者の30%近くが自分のアイデンティティーをマオリ人であると認識しているという。政府の統計数字は先住民族への補助金など行政上の取り扱いの観点からマオリ人の定義を厳密にしているので30%が実相を反映しているようだ。
米国ではナバホ族の居留地のように建国以来一貫してアメリカ先住民を閉じ込める(containment)政策を継続、先住民は最下層の暮らしを余儀なくされている。黒人を解放したリンカーンも先住民封じ込め政策を堅持したし、1964年に成立した公民権法の下でも主眼は黒人であり先住民は置き去りにされた。ナバホで調査活動をしていたアメリカ・メキシコ先住民文化研究者から聞いた話を交えてアメリカ先住民の状況を説明。
大学院女子によるとNZ政府はマオリ語を保護しマオリ人の生活を向上させる政策を採っているという。
先住民保護政策には白人層の反発も
3月9日。クリントンという町で救命救急士のK氏の自宅に泊めてもらった。夕食後に緊急招集がかかりK氏は現場に急行。食後にK氏夫人とお茶を飲みながら歓談。
夫人によるとマオリ人は元来北島に多く居住していた。南島にはマオリ人は少なく、現在南島に居住しているマオリ人の大半は南島が白人植民者により開発されるに従って仕事を求めて北島から移住してきた人々の子孫。それゆえ南島には元々マオリ人のコミュニティーが少なく、マオリ語を話せないマオリ人が大半を占めている。
夫人によるとマオリ人の低所得者には政府から補助金が支給されており、さらにはマオリ人学生に対しては奨学金支給の優先枠があるという。こうした優遇策(affirmative action)は白人系など非マオリ人に対する逆差別であるという不満が少なからずあるという。しかしマオリ人保護政策に対して声高に疑問を表明すれば人種差別主義者(racist)の烙印を押されてしまうので沈黙(keep silent)しているという。
アメリカ先住民から聞くインディアンの現実とマオリ人への想い
3月27日。アンバレー・ビーチのキャンプ場で愉快な御仁に遭遇。車のバッテリーにつないだ湯沸かし器で淹れた紅茶を飲みながら談笑。ベアーは60歳、先月早期退職して車に家財道具一式積んで放浪中。容貌から推測してマオリ人かと聞いたら呵呵大笑。「俺はアメリカ・インディアンだ。親爺がアメリカ先住民(Native American)で母親がドイツ系だよ。マオリ人は遠いファミリーかな」。
ベアーの父親は1930年代にカリフォルニアとネバダの州境にあるシェラネバダのモノティー族という少数部族の居留地で育った。米国政府は先住民家族に補助金を支給する一方で部族が運営する自治体にも人数に応じて補助金を支給するが少数部族は資金不足で居留地のインフラ整備もままならない。
居留地に留まれば一生貧困生活から脱出できない運命。それゆえ父親が15歳の時に両親は父親に居留地を離れて米国社会のなかで生きていくことを命じた。ナバホ族のように100万人の人口と広大な居留地と人気観光スポットを抱えていれば補助金をもらって貧しいながらもなんとか暮らしていけるが少数部族の現実はさらに厳しいようだ。
ベアー自身は米国社会で育ったが常に差別を感じていたという。高校を卒業すると金を稼ぐためにアラスカに渡り漁船に乗った。その後カルフォルニアの病院で働き経験を積んだ。
そして30年前に差別のない社会を求めてNZに移住。オークランド、クライストチャーチの病院で働いて3回結婚して3回離婚。今は独身なので自由に人生を楽しんでいると心情を吐露。ベアーはマオリ人の友人も多いが、「アメリカ先住民に比べたらマオリ人は幸せだよ」としみじみ語った。