2024年11月22日(金)

「永田町政治」を考える

2023年10月15日

 首相が土壇場になって、この国会への予算案提出、成立を目指すと表明したことから、審議日程を考慮すれば、選挙を行うことは難しいとの見方が強まっている。

 とはいうものの、成立をめざすと言っておいて、審議抜きで予算案だけを国民に提示し、歓心を買って解散してしまうのではないか、補正予算の成立後、年内ぎりぎりに総選挙を行うハラではないか――など。なお、「近日解散」の可能性がささやかれている。

 実際、自民党の森山裕総務会長は10月6日の記者会見で、「(首相の解散権に)制約はない」と述べ、あらゆる状況においても解散は可能との認識を強調、憶測を掻き立てた。

かまびすしい「解散の大義」めぐる議論

 すべては岸田首相の胸三寸にあるというべきだが、それだけにこうした解散をめぐる議論が高まるのは自然なことだろう。それらの論点は相互に関連しながら、いくつかに収斂される。

 まず、前回選挙から2年弱、任期半ばにさしかかったばかりで解散することに大義はあるのかという疑問だ。

 第2は、選挙で選ばれた国民の代表465人もの首を一瞬にして切る強大な権限をひとり内閣総理大臣に委ねていいのかという危惧だ。

 もう一つは、天皇の国事行為を規定した日本国憲法第7条に基づく解散に問題がないのかという法律論だ。

 第1の疑問は、どのような場合に解散が許されるのかということの裏返しだろう。

 日本国憲法で解散が明文化されているのは、内閣不信任案が可決されるか信任決議案が否決された時だけだ(69条)。これに加え、憲政の常道からいえば、重要政策で与野党が全面対立し国民の審判を仰ぐ必要がある場合、さらには与野党の議席差が接近、国会が安定さを欠くため事態打開を図る必要がある時などに限られる。

 これらいずれの条件にもあてはまらないにもかかわらず、首相が自由自在に解散権を行使することが許されるのかという議論に頷く向きも少なくあるまい。

 こうした指摘が強まったのは、安倍晋三内閣による2014年、17年の解散・総選挙に対して、「恣意的だ」という指摘が強かったのが契機だった。とくに17年9月の解散に対してはいまでも根強い批判が残る。

 当時、安倍首相は、消費税の税収の使途を全世代型社会保障の財源に振り向けるという変更を唐突に表明、それについての民意を問うことを大義名分に衆院の解散を断行した。安倍氏は、使途変更について、反対する財務省や財政健全派を「黙らせる」ためだったと説明(『安倍晋三回顧録』中央公論新社、271頁)している。

 財務省の反対を抑えるといのであれば、首相が説得すべきであって、政府内の対立解消に民意を利用するのは筋が違う。この解散について安倍氏自身が語っている。


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