明治以降の日本人の心には、和魂と漢才と洋才が併存していた。物事が順調に進んでいるうちは、3つの要素が互いに補完し合って大過なくやっていくことができる。
だが、重大な局面(戦争など)に遭遇すると、とたんに3要素が衝突してしまう。
まず剥がれ落ちるのが合理的な「洋才」。すると日本人は、大和心に訴える「和魂」で解決を図りがちだ。そして、それを「漢才」、特に事態を単純化して人間を感情的にさせやすい四文字熟語で表現しようとする。
幕末期の「尊皇攘夷」、日露戦争前の「臥薪嘗胆」、満州事変後の「五族協和」「王道楽土」などなど。先の大戦の時は、国威発揚の四文字熟語が溢れた。「鬼畜米英」「一撃必殺」「皇軍無敵」「聖戦完遂」……。
なぜミッドウェーに拘泥したのか?
こうした観点から、軍事史専門家の藤井非三四氏による『太平洋戦争に学ぶ 日本人の戦い方』(集英社新書)は、普通ではない状態の日本人を知るために太平洋戦争(当時は大東亜戦争)の戦史、とりわけ敗因の検証を試みる。
日本軍の最初の大敗は、昭和17(1942)年6月のミッドウェー海戦だった。
半年前の真珠湾奇襲で劇的な勝利を収めた連合艦隊司令長官、山本五十六の発案で、日本とハワイの中間にあるミッドウェー島海域まで米軍の太平洋艦隊を誘い出し、一挙に叩こうという作戦である。
ところが、日本側の暗号通信はすべて米軍に傍受されていた。日本軍の機動部隊は待ち構えていた米軍機の猛爆撃を受け、空母4隻、搭載機320機を失う惨敗となった。
他に、南太平洋の米豪分断作戦などもあったのに、なぜミッドウェーに拘泥したのか?
著者は、同年4月のドーリットル爆撃隊の奇襲、帝都空襲に浮き足だったから、と見る。
宮城のある首都を2度と空爆させない、と相手の奇襲に対し短絡的に反応したのだ。
しかも、真珠湾の時と同様の太平洋における正面攻撃作戦。いくら名将の山本でも、成功パターンの繰り返しでは勝ち目がない。
続くガダルカナルの大敗
続くガダルカナル攻防戦(昭和17年8月~18年2月)でも日本軍は撤退時期を誤って大敗北し、米軍の本格的な反転攻勢を招いてしまう。
そもそも日本にとって、この戦争の目的は何だったのか? 大東亜共栄圏建設(アジア諸国の欧米植民地からの解放)は、むろん建前でしかなかった。
本書によれば、昭和16(1941)年8月の英米蘭の対日全面禁輸により、すでに始まっていた日中戦争(昭和12年の盧溝橋事件から)を継続するため、石油などの戦略物資を求めて南進した。つまり南方資源獲得が目的の「自存自衛」の戦争、だったのだ。
日本は「持たざる国」だった。近代産業資源で自給可能は石灰岩のみ。鉄鉱石も石炭もニッケルもマンガンも輸入頼み。最重要の石油は、昭和14年時点で米国から約7割、残りを東南アジアの各地から輸入していた。