2024年5月16日(木)

教養としての中東情勢

2023年12月14日

 パレスチナ勢力は2007年、内部対立を激化させ、ハマスがパレスチナ自治政府を武力でガザから追放。それ以降、パレスチナ側は「ガザのハマス」と「ヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府」の2つの勢力に分裂した。

 ネタニヤフ首相はかつてイスラエルのジャーナリストに対し「自治政府の対抗勢力としてハマスを強いままに保つことが重要。2つの勢力があれば、パレスチナ独立国家に向けた交渉の圧力を弱めさせる」と発言していたとされる。

 唯一の和平のチャンスと言われた「オスロ合意」(1993年)について、自治政府は支持しているが、ハマスはイスラエルを武力で打倒すると主張して反対している。合意を反故にしたいネタニヤフ政権にとってハマスの姿勢は都合の良いものだった。

 「ハマスに対するイスラエルの考えは〝ガザを統治できるほど強く、しかしイスラエルに制御されるほど弱い〟というのが基本だった」(同)。イスラエルはハマスを重要な手駒の1つとして手なづけようとしたわけだ。

両刃の剣

 ネタニヤフ政権はこの基本的な考えに沿い、さまざまな要求を突き付けて和平交渉を頓挫させた。〝ガザを統治するほど強い〟ハマスを育てるために利用したのがカタールだった。中東では一時、民主化の嵐が吹き荒れたが、カタールはその中心にいたムスリム同胞団などイスラム原理主義勢力を支援していた。

 ムスリム同胞団が源流のハマスもその対象で、2012年にはカタールの当時のハマド首長がガザを外国の元首として初めて公式訪問、数億ドルに上る援助を約束した。イスラエルは当初こそ、カタール資金が民生用のみに向けられ、ハマスの武器製造や購入に使用されないよう監視したが、ハマスは資金の一部をかすめ取り、軍備増強に転換していった。

 このカタールのハマス支援については、一部のネタニヤフ政権の閣僚が反対したが、米国のオバマ、トランプ、バイデンという歴代政権も支持した。ニューヨーク・タイムズによると、ネタニヤフ政権は18年の閣議で、カタール外交官がガザに入り、直接ハマス当局に援助金を手渡す方式を承認した。

 外交官は毎月1500万ドルのキャッシュをスーツケースに詰め込み、ガザに通った。外交官をガザ検問所まで送るのはイスラエル情報当局者の役目だったという。

 反対した閣僚の一人だったリーベルマン元国防相は同紙とのインタビューで、この閣議決定が今回のハマスによる奇襲攻撃につながったと指摘し、「ネタニヤフにとって重要なことは1つだけ。どんな犠牲を払っても権力座に留まることだ」と批判した。


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