2024年12月7日(土)

霞が関の危機は日本の危機 官僚制再生を

2024年1月24日

霞が関での働き方に関するネガティブな報道が多いが本当なのか。官僚たちはどのような思いで働いているのか。その本音に迫る。

(metamorworks/gettyimages)
CASE1
1億2000万人の健康に
影響を与える

(Aさん/厚生労働省)

 私は医師として臨床研修を終えた後、突き詰めたい分野が見つかり、大学の博士課程に進んだ。在学中に人材交流の一環で厚生労働省で働いた際、「役所の仕事は面白い」と感じ、官僚になることを決意した。官僚の仕事自体は好きだが、「強制労働省」と皮肉られるほど夜は遅く、年功序列という昭和な風潮も根強い。昇進はするものの、医師として働くよりも給与は低く、政治家におもねらなければならない場面もある。これらの改善なしには、人手不足は解消できないだろう。

 10年ほど前、国民の健康リスクを軽減するためのある法律の制定に携わった。その法律により、それまでは当たり前に行われていたリスクのある慣行を禁止した。利害関係者との調整・折衝は大変だったし、厚労省が当初理想としていた形にはならなかった。それでも国民の健康を守るために大きな一歩を踏み出せたと実感できた。

 病院で勤務し目の前の患者さんを治すことも重要な仕事である。ただ、自分一人では1日数十人の診察が限界だ。一方、官僚であれば、1億2000万人の健康に影響を与える政策をつくることができる。自分の携わった政策が国全体に与えるインパクトの大きさが官僚の仕事の魅力だ。

CASE2
官僚が政策で戦わないのは
危機的な状況だ

(Bさん/防衛省)

 防衛省は、平和を「維持」し戦争を「抑止」することが最重要の任務だ。「○○率の向上」といった指標で語れないため、世のためになっているという実感が得られにくい。それでも全職員が「国を守るため」という強い覚悟で働いていることを知ってほしい。

 内閣人事局の創設以降、人事を気にしてか、幹部たちが過度に空気を読む傾向にある。例えば、「官邸レク」はごく短時間だが、「納得されていない様子だった」「若干うなずいたように見えた」という理由だけで政策が変わることも珍しくない。何らかの懸念が示された場合、以前はファクトとロジックを補強して後日再説明することが当たり前だったが、最近では「反応が芳しくなかったのでB案にしよう」と安易に変更してしまうことが増えた。省内でひざ詰めの議論を重ねた末の案を簡単に取り下げられるのは担当官としてもどかしい。「根回し」の巧みさばかりが評価され、官僚が政策で戦わなくなっているのは危機的な状況だ。

 当然、政策立案能力を高めるためには勉強や積み上げも不可欠だ。しかし、ただでさえ日中に政策を磨く時間は限られている上に、ゼネラリスト育成と称して1~2年おきに異動があるために十分な専門性を得られない。業務外で自己研鑽をしても生かせる頃にはまた異動だ。社会課題が日々高度化・専門化している現代において、パイの拡大を前提にした「利害調整」が主であった時代と同じ人事運用ではそもそも無理があるのではないか。ゼネラリストではなくスペシャリストを育成する方向に舵を切るしかない。各省の人事運用の変更に法改正はいらない。「優秀な人材が集まらない」という声も聞こえるが、優秀な人材は採用後に内部で育て上げるものだろう。霞が関全体が地盤沈下する前に、鉈を振るわなければいけない時期ではないか。 

 人事院で週休3日制の導入などが検討されていると聞くが、官僚が本当にそれを求めているのかは甚だ疑問である。確かに勤務時間は長く、深夜残業が多いのは事実だ。しかし、「どんな時間の過ごし方をしているか」が重要だと思う。成長したい、政策をつくるために頭脳をフル回転させたいと思い入省したにもかかわらず、大量の印刷や文書の体裁修正などの雑用を任され、何も政策をつくれないことへの徒労感が募っている官僚は多いだろう。上司を見てみても、政策を戦わせる姿は見えず、将来に期待が持てない。この数値化されない部分にこそ、「ブラック霞が関」たる所以がある。長時間労働の常態化やパワハラは根絶すべきだが、過度な〝ホワイトキャンペーン〟をかえって迷惑に感じる官僚もいるはずだ。


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