サケット教授との思い出
実は、サケット教授と私とは『The BMJ』の編集委員会の「同僚」だったことがあり、何回か彼と会って話す機会に恵まれている。2000年から2010年ごろまでのことだ。それぞれ編集委員会が開かれる英国ロンドンから遠いカナダと日本にいたので、毎回2人とも出席するわけではないが、1〜2年ごとに2人が揃って出席する時は、なぜかいつも席が隣同士になった。
席順が決まっているわけではないので単なる偶然なのだが、気が付いてみると彼が隣にいて「やあリュウキ、元気かい」「やあデービッド、久しぶり」という感じで、編集委員会が始まる前におしゃべりしたものだ。
彼は若かった私に対しても優しく温かく接してくれた。穏やかな語り口には思慮深さとスケールの大きい情熱が感じられた。タイトルにEBMを付けさえすれば内容の質と無関係にその本が売れるというあきれた出版界の傾向や、日本の医療が一方で標準化に遅れ、他方でエビデンスが患者から離れて一人歩きしていることを大いに憂いていた。
サケット教授は、2015年に亡くなられた。享年80歳。彼の訃報を受けてその大きな喪失感を言語化するために私が思いついた言葉は「巨星墜つ」だった。
「巨星墜つ」という表現は、三国志の英雄などに使うのだろう。サケット教授は諸葛亮孔明のような軍師でもなく、野心や権力を志向するイメージとはかけ離れている。でも、彼が医学医療に遺したものの大きさと意味の深さを考えると、彼の死は真に「巨星墜つ」に相当すると言える。
彼の教えは専門領域に留まらず、科学者や教育者がとるべき行動の規範についても重要なことを伝えている。有名なエピソードであるが、「10年間エキスパートをしたらそれで辞めるべきだ。さもないとエキスパートの意見が重視されすぎて、新しい考えが育たない」として、彼は1999年に「今後EBMについての講義も執筆も研究もすべてをしない」と宣言してその通りにしている。自分のプロフェッショナルとしての矜持を「良心的、明示的、かつ思慮深く」発揮したのだった。
実際には、脂質異常症でのスタチン系薬剤による心血管イベントの予防についてのエビデンスをどう参考にするかの相談もしながら、個人的な思い出も語ったその日の診療の後で、C.B.さんはしみじみこう言ってくれた。
「先生にも良い『親方』がいたんですね」
「そうなんですよ。ありがたいことです」