2024年12月10日(火)

医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から

2024年2月13日

 筆者が「霞が関で殉職しない方法 睡眠奪う労働は人権侵害」を書いて以降、霞ヶ関、永田町界隈から多くの反響をいただいた。そのなかには、「官僚の現状について、理解していただいてありがとう」という肯定的な意見もあったが、メンタルクリニック受診歴のある元・職員からは、「薬でごまかすだけで、頼りにならなかった」という意見も寄せられた。

 筆者は、すべての精神科医を弁護する立場にはないが、ひとこと、言い訳を申し上げておく。精神科は元来、「精神障害者」御用達であった。一方、霞ヶ関の官僚諸氏は、いかなる意味でも「精神障害者」ではない。当然ながら、誰一人「患者扱い」など求めていない。ここにミスマッチの原因がある。

(arieliona/mizoula/gettyimages)

官僚は精神医学にとって「規格外」

 筆者が霞ヶ関人を診ることができるのは、環境に恵まれたからにすぎない。外勤先は、国家公務員共済組合連合会虎の門病院出身の精神科医(現・理事長)が立ち上げたクリニックで、同院精神科初代部長が院長を務めた時期もあった。その後、理事長の高校の後輩で、獨協医科大学埼玉医療センターの筆者が非常勤として関わり、医局員を送りこんだ。

 同センターの精神科は、「こころの診療科」の呼称で、精神療法中心の方針を打ち出している。したがって、このクリニックの診療は、官僚御用達病院の実践知と、大学病院の「薬に頼らない」治療ノウハウとのハイブリッドである。

 また、某省職員を辞して精神科医になった人もおれば、産業医として職域メンタルヘルスに精通している医師もいる。官僚を診られて当然だし、診なければならない。

 筆者の知る限り、都内にはここ以外にも、働く人のメンタルヘルスを得意としているクリニックが複数ある。しかし、その数は多くない。

 駅前にも、街角にも多数のメンタルクリニックがあるが、職域のメンタルヘルスには寄与できていない。そこにはいくつか理由がある。

 まず、薬物療法しかできない精神科医は、役に立たない。官僚のメンタル不調は、疲労、睡眠不足、人間関係が原因であることは、本人が一番わかっている。したがって、精神科医に求められるのは、生活習慣をめぐる指導、対人関係に関する助言、労働環境への介入であり、薬ではなく、言葉による治療である。しかし、本邦の精神医学教育は「治療=薬物療法」と見なしがちで、これでは「薬でごまかすだけ」と言われてもしかたない。


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