2024年5月16日(木)

医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から

2024年2月13日

 文面は、第一弾は穏やかに、それで職場が動かなければ次第に強くして、切迫性、緊急性を打ち出していく。その診断書は誰にあてて書くのか? それは大臣に対してである。たとえば、人事院規則15-14の「原則として1箇月について45時間かつ1年について360時間の範囲内で、必要最小限の超過勤務」との記載に言及する場合、その責任の所在は省庁の長である。

 もっとも、官僚のほとんどは職場と対立したいと思っているわけではない。法の条文の示す権利・義務関係の露骨な表現は、無用な摩擦を招く場合もある。診断書の文面は、話し合いの末、十分に納得の上で記載したい。

 法規を反映した診断書を作成するとしても、その際に、本人に所属組織がどのような対応をとってくるか、その微妙なパワーバランスを探りつつ、慎重かつ大胆に進めていく。機械的な診断書一枚で状況が変わるはずがない。根気強く相手方から譲歩・妥協を引き出していくといった、一種の外交戦略が必要となる。

 しかし、いよいよ危機的な事態(自殺のリスクなど)が迫ってきたら、一戦交えるつもりで、強い文面の診断書を書かなければならない。「自殺等の破壊的事態を避けるためにも、可及的早期の……」などである。

 来るべき法廷闘争に耐えうる文面を、診断書に反映させなければならない。診療録も、有事の際の証拠となるよう、精密に記載する。召喚されれば、専門家証人として証言台に立つ覚悟は必要である。

霞ヶ関はイグアナの生息地ではない

 「官僚も理不尽な攻撃や罵倒を受ければ心が折れ、激励されれば意欲を取り戻す『生身の人間』だ」(嶋田博子:〝未完〟の公務員制度改革 政官関係に外部検証の視点を.Wedge 2, 2024)との意見がある。そして、「こういうときにどうすれば、気持ちを切り替えることができるのか?」という質問をしばしば受ける。

 そういう時の精神科医の立場としての筆者の回答は、「相手もまた、短時間睡眠で冷静さを失っている可能性が高い」と伝えることにしている。

 ヒトの脳は、進化の歴史にしたがい、古い脳の上に、新しい脳が積み重ねられ、新しい脳が古い脳を抑制するように機能する。爬虫類脳(反射的に動く)を哺乳類原脳(情動で動く)が、それをまた、新哺乳類脳(知性で動く)が抑える、という具合である。しかし、この脳の抑制機能は、疲労、とりわけ睡眠不足によって、簡単に緩む。最も影響を受けるのが知性で動く人間の脳であり、その結果、情動で動く哺乳動物が暴走し、ついには、反射的に動く爬虫類がその本性を発揮する。

 慢性的に睡眠不足が続いている人は、情動の統制がきかなくなり、行動パターンが感情に流されて単純化する。見苦しい癇癪、くどすぎる説教、自慢話を始めれば長すぎる、怒り始めると、だらだらと止まらない。このような特徴は、睡眠不足の人間にしばしばみられる症状である。

 「理不尽な攻撃や罵倒」は、それを受ける側に劣らぬほどに、それを浴びせる側も、寝不足に陥っている可能性が高い。だからこそ、組織全体の取り組みが必要である。

 霞ヶ関は、万物の霊長たる人間、それも、ハイスペックの人材ばかりの住む場所である。イグアナたち爬虫類の生息地ではない。

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