「その手の怪我どうしたんですか?」
「昨日、サルが出ましてね。自転車で追いかけていたら転倒したんですよ。ほら、膝も擦りむいているでしょ」
小誌記者の質問に満面の笑みを浮かべながらズボンの裾をたくし上げ、名誉の負傷と言わんばかりに話してくれたのは、島根県美郷町美郷バレー課長の安田亮さん。記者が安田さんのもとを訪問するのはこれで3度目だ。しかし、今が最も充実しているように見える。単なる鳥獣害対策の町ではなく、それを起点とした「地域づくり」が本格化しているからだ。
美郷町は「おおち山くじら」の名前で、イノシシによる獣害対策の成功モデルとして全国から視察の訪問が絶えない町として知られている。その仕掛け人が安田さんなのだ。
「私は大学で野生生物のことを学んだことはありません。ただ、鳥獣害対策と聞くと、『野生動物をどうするか?』と考えがちになりますが、それは間違いです。私たち『住民がどうするか?』を考えなければならないのです」
安田さんがイノシシ対策に向き合ったのは25年前にさかのぼる。それまで地域企画課で「地域づくり」を担当してきたが、補助金頼みで政策を打ち出しても持続性がないことをまざまざと実感させられていた。産業振興課に異動となり、鳥獣害、林業の担当になった。今度は、補助金に頼らない取り組みを考えた。
「全国に共通する鳥獣害対策のノウハウを蓄積することができれば、観光資源のない美郷町にも多くの人が訪れてくれるはずと思いました」
まず取り組んだのが、農家自身が対策を行う「主体者」となることだ。当時は、猟友会にお願いしてイノシシを駆除してもらうことが一般的だった。ただ、農作物被害の多い夏場は、狩猟者にとってメリットが少ない。イノシシの肉は脂の乗った冬場のものでなければ商品価値が低いからだ。そのため、農家にとって必要な夏場のイノシシ駆除はなかなか進まなかった。
そこで農家が狩猟免許を取得し、箱罠でイノシシを捕獲できるようにした。まさに逆転の発想である。そして、イノシシ肉の処理施設まで「生体搬送」して処理するなどして「夏場のイノシシ肉は美味しくない」という風評を覆すことに成功した。
安田さんは言う。「『地域づくりの診断書』として、僕がよく使う数式があります。それは、『地域づくり』―『補助金事業』=『何が残っているか?』というものです。この引き算で何も残っていないのであれば、それは単に補助金事業を消化した、つまり、行政にやらされているだけです。『残っているもの』こそが、自分たちの発想であり、その町の地域づくりの『個性』『強み』になるのです」