「これから狙う魚は何ですか」
小誌記者が尋ねると、「がらかぶ」という答えが返ってきた。
熊本県宇城市戸馳島は、天草を望む宇土半島の先にある。この地域ではカサゴを「がらかぶ」と呼ぶらしい。
「アフターファイブから海釣りができるなんて、最高でしょう?」
所有する小型船を操縦しながら、こう笑顔で話す宮川将人さんは数々の肩書を持つ。その全てに共通しているのは「戸馳島を希望あふれる地域にする」という揺るぎない信念だ。
宮川さんが現在、手掛けているのは「TOBASE☆ジビエツーリズム」。
戸馳島で「獣の存在を知り、農を育み、島で遊ぶ」ことを通じ、大自然の恵みと命の尊さを学ぶためのツアーで、がらかぶ釣りもその体験の一環だ。
「まずは親に釣りの仕方を教え、今度は親が子どもに教えると、親がヒーローになります。そうすると子どもたちは『また親と釣りがしたい!』と思えるようになるんです」
宮川さんは幼い頃から戸馳島で最初に花農家を始めた祖父と、日本一の洋ラン産地を目指そうと「五蘭塾」を立ち上げた父親の背中を見て育った。
「自分が勝てばそれで良いという思いなんて、これっぽっちもありません」
こう断言する宮川さんは、熊本農業高校の園芸・果樹科を卒業後、東京農業大学で学び、米国・オランダで経験を積んだのちに家業を継いだ。「東京も、海外も知って、この島を選んだのです。僕はここから逃げません」
海外で学び、島へ帰ってきたときに感じたことは「このままでは大切な地元がなくなる」という危機感だった。身近にあったフェリーも、通っていた小学校もなくなっていく……。
1950年に3024人いた島の人口は、2020年に1103人まで減少し、50年には304人になると推計されている。「人が減るのはどうしようもない。そこで思考停止するのではなく、300人であっても島の生活をどうすれば楽しめるのか、徹底的に考えた」と宮川さんは言う。
戸馳島三角町は、1880年代に三角西港が開港して以降、交通の要所として栄えてきた。だが、1960年代に天門橋など天草方面へ渡る橋が開通すると、戸馳島は次第に「通過される町」となり、寂れていったという。
そんな三角町を目的地としてもらえるような、奇跡の一日をつくれないか――。そんな思いで、宮川さんが2012年から企画・運営に携わるのが「オールドカーフェスティバルinみすみ」だ。昭和時代の三角町を懐かしむことを目的に、旧車を愛する人が九州中から1万人集う。
「観光って、『光を観にいく』って書きますよね。地元が光っていなければ、人は来ません。そこに住んでいる人がキラキラしていたら必ず人は来る。人はモノではなくてヒトに吸い寄せられるんです」