2024年10月6日(日)

経済の常識 VS 政策の非常識

2024年6月25日

言論の自由には反しない

 それは言論の自由に反するという反論があるかもしれない。ただ、言論の自由とは、自分の意見を発表することによって逮捕されたり拘禁されたりすることがないという自由である。個人の意見を発表するコストを政府や自治体が援助しなければならないという訳ではない。

 大学の立て看板の中身がよほど反社会的なものでないかぎり、大学は規制していないだろうが、立て看板の費用は意見を表明したい学生が負担している。選挙のように立て看板を政府や自治体が提供しているわけではない。

 看板を置くキャンパスの地代は徴取していないが、通行の邪魔にならないなら、構わないという程度の判断でしていることだろう。あまりに多すぎれば別の判断が出てくるかもしれない。

 また、2600万円の供託金では、政治参加のハードルを高くするという反論もあるだろうが、2600人を説得して1人1万円の寄付を得た、260人を説得して1人10万円の寄付を得た、あるいは自分のお金2600万円を使っても都民のためにやりたいことがあるという人だから、とりあえず発言を聞いてみようかとなる訳で、でなければ面倒だと選挙民が考えても良いのではないか。2600万円なら、税金を投入される選挙準備のコストのある程度のものが自己負担となるだろう。

 今回の都知事選の掲示板の設置個所は、1万4000カ所という。ポスター掲示板は、1カ所10万はかかるだろうからこれだけで14億円である。56人の立候補で割れば2500万円だから、掲示板の費用だけは回収できる。

 もちろん、供託金は、選挙の公的費用を削減するためではなく、売名や泡沫候補の乱立を避けるためが本来の目的であるだろうが、高い供託金はこのためにも有効である。

 候補者の乱立は、有権者が候補者の主張を聞き、候補者同士の論戦を聞いて、自分で判断するという機会を奪う。これこそは民主主義に反するのではないか。

 供託金が高くても、立候補し、関係のない主張をする人はいるだろう。しかし、必ず立候補者は減る。減ること自体が後の作業を楽にし、正当な民主主義の手続きとなり得る。

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