再認識すべき中長期的スタンス
北前船の西廻り航路は、1639年に加賀藩の米100石を大坂へ運んだことから始まったという説があるようである。当時、加賀藩が大坂で換金していた米は平均7万石であったということであり、それを前提とすると、北前船の西廻り航路は0.143%から始まったことになる。
1672年には、加賀藩に加えて、天領である出羽の米も同航路で大坂に運ばれるようになったが、陸路と内陸水運中心であった江戸時代の貨物輸送を海運の方に流れを変えるのに、30年以上の年月が必要であった。
そのように考えれば、モーダルシフトという日本の貨物輸送構造の根幹治療には、江戸時代のように30年は掛けられないとしても、前回の繰り返しになるが、点滴岩を穿つが如き不断の努力による、中長期的なスタンスが不可欠なのである。そのようなスタンスを以て取り組む内航海運事業者が多数現れれば、下の写真に見られる通り、従来から一部で行われていたトラック輸送からフェリー・コンテナ船・RORO船輸送へのモーダルシフトをさらに拡大し、「2024年問題」を乗り越えることは、十分可能だろう。
次回は、内航海運から一旦離れて、モーダルシフトのもう一方の受け入れ先として想定されている鉄道輸送について述べてみることとする。