太平洋戦争で日本軍により犠牲になったフィリピン人は100万人?
太平洋戦争で日本軍により、フィリピン人100万人が犠牲になったことは、日本政府も公式に認めている。しかしカタル氏によると100万人のうちの相当部分は米国に責任があるという。米国は、日本軍とフィリピン人をあまり正確に区別せずに攻撃したので、誤爆や巻き添えでゲリラや市民が多数犠牲になったという。
そもそも日本軍にはフィリピン人軍属が、多数行動を共にしていたという。筆者は「日本軍vs米軍+フィリピン人ゲリラ+フィリピン民間人」という単純な構図しか想定していなかった。カタル氏によると実相はかなり複雑なようだ。
例えばバレンシアでは日本軍は、日本兵12人に対してフィリピン人軍属2人を徴募した。報酬は当初、フィリピン通貨だったが、戦況が悪化すると軍票になったという。主な役割は水・薪および食料の調達や塹壕堀などの労役。当然日本軍が潰走状態になるとフィリピン人軍属は多数逃亡したが、それでもかなりの犠牲者が出たらしい。
複雑なフィリピンの反米感情と抗日共産ゲリラ活動
さらに戦争初期に米軍を駆逐して日本軍が軍政を敷いた時、コモンウェルス政府(米国植民地支配下で認められたフィリピン人の自治政府)は日本軍に協力した。カタル氏によると、そもそも1889年の米西戦争以来、独立を要求してきたフィリピン人は米国に何度も裏切られ反米感情を募らせていた人々も多かった。
コモンウェルス政府の下で、日本軍の治安維持活動に協力した地主階層は、配下の農園労働者の若者を中心に自警団を組織した。自警団には日本軍から手当てが払われ、貧しい若者はむしろ積極的に参加したようだ。カタル氏は当時ネグロス島でも共産党に指導された抗日組織(フクバラハップ)が跋扈しており、危機感を抱いた地主階層は日本軍に協力したと補足した。
このように日本軍、コモンウェルス政府、地主エリート階層、貧農若者自警団、共産抗日ゲリラの利害が複雑に混在していたのが当時のフィリピン社会の実相のようだ。従ってフィリピン人が一致団結して日本軍と闘った訳でもなく、フィリピン人全員が無条件で米軍を支援した訳でもなかったようだ。カタル氏との会話からそんな印象を抱いた。
以上 次回に続く