また、教育でも変化が起きるでしょう。すでに米国の高校では、AIを使うことを前提とした教育が行われています。AIがさらに進化すれば、「答え」だけではなく、それに至る「考え方」も教えてくれるようになるはずです。現在のように、一人の教師と複数の生徒による授業であれば、みんなのいる前で質問しにくいなどの理由から、どうしても理解度に差が生まれがちです。
しかし、一人の生徒とAI家庭教師がマンツーマンで向き合うようになれば、「超パーソナライズ」された教育、つまり、何が理解できていて、何が理解できていないかを一瞬で判断し、個々人の到達度に合った教育を行うことができるようになるでしょう。これは、教育の深度を高めることになり、学力アップにつながります。
そうすると、「AIができないこと」がより重視されるようになります。SAT(大学進学適性試験)のようなテストでは、差がつかなくなるからです。これからの時代は、「人間にしかできないこと」「こんなことにチャレンジした」といった「経験」がより大切になっていくでしょう。
否応なしに進んでしまう
人類の二極化
20世紀初頭のモータリゼーションによって、荷馬車が自動車に取って代わられた際、職を失った馬車の御者たちはフォードの自動車工場に転職することができました。一方、AIの最大の問題点は、人間に対して新しい仕事を生み出すかが分からないということです。
家電製品の導入によって、家事労働の負担が減少したように、労働からの解放は人間の自由度を高めます。仮定の議論ですが、AIが進化し、将来、ベーシック・インカムのような制度が導入された場合、多くの人が働く必要がなくなるかもしれません。しかし、何を幸福と感じるかは、人によって異なります。お金さえあればいいのか、働きたいのか……。AIの台頭とは、「ヒューマニティーの危機」もはらんでいるのです。
こうした状況の中で、遊び続けるのか、自己研鑽し続けるのかは、個人の意思次第です。自己研鑽を続けていくことで、レオナルド・ダ・ヴィンチのようなマルチな存在になる人も現れてくるかもしれません。
人類の歴史は、常に「次なるチャレンジ」を探求してきました。今、50年ぶりに人類による月面着陸「アルテミス計画」が進められています。人類は今後、月を拠点にして、火星などへ活動範囲を広げていくでしょう。
オープンAIのサム・アルトマンは、AI以外にも、核融合やLongevity(ロンジェヴィティー:不老長寿)のスタートアップに投資して話題を集めています。核融合炉が完成すれば、その無限のエネルギーによって、深宇宙へ向かうことも容易になります。
ロンジェヴィティーというのは、長寿に向けた取り組みです。現在は、125歳まで健康寿命を保つための研究が進められていて、中には寿命を500年にする研究もあるそうです。
医療については、先ほどのパーソナライズされた教育と同じく、スマートウォッチの進化によって、より個人の状態に合わせた健康管理や治療を行うことが可能になるはずです。「超健康」で生きることができる未来がすぐ近くまでやってきているのです。
右手に進取の精神
左手に倫理観
宮田氏の話はこれからの未来を歩むにあたってさまざまな示唆を与えてくれる。アカデミー賞を受賞した映画『オッペンハイマー』では、科学者としての苦悩が描かれた。科学技術の発展には常にプラスとマイナスがある。マイナスがあるからといって研究をやめてしまえば、進化はストップしてしまう。簡単なことではないが、右手に進取の精神を持ちながら、左手に倫理観を持って未来に進むしかない。