志賀が作家仲間と
「うつつを抜かした」
そう遠くない場所に、西陣の豪商が軒を連ねていた。江戸中期からは遊郭「上七軒」が紅灯を煌かせ、明治以降は「五番町」が遊客で賑わった。水上勉の名作『五番町夕霧楼』の舞台である。いつの頃からか、そうした客に、入れ込み座敷ですっぽん鍋を提供する料理屋となっていった。一筋違いの千本通は大名行列も通る繁華な場所だったから、表の格子戸には幕末の刀傷が今も残る。
贔屓が増え続ける中、昭和初期には大増築を行い、奥に6つの座敷を設けた。それぞれに趣向を凝らした豪華な数寄屋造りであり、三井家や住友家にはご指定の部屋があった。いまに続く高級店となっていったことが窺われるのだ。
志賀直哉が通ったのはいつ頃か。創業から今に残る一郭に、盟友の里見弴から来た礼状が飾られる。60年ほど前、粟田口に住んでいた志賀に連れてこられたのが忘れ難い、そう始まる手紙には、芥川龍之介や直木三十五とここのすっぽん鍋に「うつつを抜かした」と綴られている。志賀が粟田口に住んだのは1923(大正12)年、まだ2階の座敷が主だった時期であり、まさに「暗夜行路」に描かれた頃のことだった。
いまはテーブルが置かれる2階座敷は二間続き、かつては入れ込みで客をもてなした。豪華な市松模様の畳が敷かれ、天井は黒漆塗り、欄間には波千鳥の彫刻板がはめ込まれる。お金のかかった造りである。ここで、志賀は作家仲間と舌鼓を打った。さて、そのすっぽん鍋とは──。
