2024年8月25日(日)

偉人の愛した一室

2024年8月25日

鍋の底が溶ける
熱々のすっぽん鍋

 「大市」では、すっぽん鍋が2回にわけて供される他は、煮込みと雑炊だけである。だが、使われる鍋がすごい。特注で焼かせた土鍋にまず水だけを張って煮立て、次に酒と醤油を加えて何度も炊き、徐々に味をしみ込ませてゆく。鍋を〝育てる〟のだと、青山さん。

 「これに1カ月から3カ月かかります。納得のゆく鍋に仕上がるまでお客様には使いませんし、育たないものもある」

 具材として使うのは肉のみである。いまは浜名湖で養殖されるすっぽんの調理方法は、父から子への一子相伝だという。大鍋で下ごしらえをしたスープと具材を土鍋に移して一気に炊き上げる。使う調味料は酒、醤油、ショウガのみ。

1600度以上の高温、短時間で一気に炊かれ、鍋底は真っ赤に燃える。コークスから激しく炎が上がり、火花が舞う調理場で、青山さんと息子の彰真さんが、お客様の声をもとに日々改善をしながら伝統を守り続けている
コークスの熱によって、使うたびに鍋底が徐々に溶けてしまう

 燃え盛るコークスに鍋をかける。真っ赤な炎に包まれ、すぐに沸騰してくる。すっぽんのエキスが残らず溶け出してゆくのが見えるようだ。待つことしばし、火床から上げた鍋の底が真っ赤に焼けただれている。土鍋を焼成した温度より高温になるからだ。鍋ごと台座に置き、沸騰したまま、客の前に運ぶ。なんというダイナミズム。その妙味については……筆が及ぶか、自信がない。

熱々に沸騰した絶品の鍋。ベストな状態で提供するために火から上げるタイミングも秒単位で調整している

 戦後も、志賀は寡作ながら執筆活動を続け、49(昭和24)年には、谷崎潤一郎とともに文化勲章を受けた。ペンクラブ会長の職にも就き、押しも押されもせぬ文壇の第一人者となった。短編小説の手本として多くの作家から仰ぎ見られた。

 余談だが、先年亡くなった京料理の名人、新橋「京味」の西健一郎は晩年の志賀が贔屓にした。西が腕を磨いたのは京都「たん熊」であり、その名物はすっぽん料理の〝丸づくし〟だ。志賀は京のすっぽん鍋が忘れ難かったと見える。

増築されたすべての座敷から中庭が見えるようになっており、 プライベート空間でありながら開放感がある
昭和初期に増築された6つの座敷のうちの1つ。数寄屋風の座敷は隠れ家のようだ。
かつて使われていた井戸もそのままの形で残されている
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