鍋の底が溶ける
熱々のすっぽん鍋
「大市」では、すっぽん鍋が2回にわけて供される他は、煮込みと雑炊だけである。だが、使われる鍋がすごい。特注で焼かせた土鍋にまず水だけを張って煮立て、次に酒と醤油を加えて何度も炊き、徐々に味をしみ込ませてゆく。鍋を〝育てる〟のだと、青山さん。
「これに1カ月から3カ月かかります。納得のゆく鍋に仕上がるまでお客様には使いませんし、育たないものもある」
具材として使うのは肉のみである。いまは浜名湖で養殖されるすっぽんの調理方法は、父から子への一子相伝だという。大鍋で下ごしらえをしたスープと具材を土鍋に移して一気に炊き上げる。使う調味料は酒、醤油、ショウガのみ。
燃え盛るコークスに鍋をかける。真っ赤な炎に包まれ、すぐに沸騰してくる。すっぽんのエキスが残らず溶け出してゆくのが見えるようだ。待つことしばし、火床から上げた鍋の底が真っ赤に焼けただれている。土鍋を焼成した温度より高温になるからだ。鍋ごと台座に置き、沸騰したまま、客の前に運ぶ。なんというダイナミズム。その妙味については……筆が及ぶか、自信がない。
戦後も、志賀は寡作ながら執筆活動を続け、49(昭和24)年には、谷崎潤一郎とともに文化勲章を受けた。ペンクラブ会長の職にも就き、押しも押されもせぬ文壇の第一人者となった。短編小説の手本として多くの作家から仰ぎ見られた。
余談だが、先年亡くなった京料理の名人、新橋「京味」の西健一郎は晩年の志賀が贔屓にした。西が腕を磨いたのは京都「たん熊」であり、その名物はすっぽん料理の〝丸づくし〟だ。志賀は京のすっぽん鍋が忘れ難かったと見える。