2024年11月22日(金)

勝負の分かれ目

2024年9月3日

日本人記者は「浮いた」存在

 大谷選手に関する取材の中で、球場内での“過剰”な報道に警笛を鳴らす識者もいる。

 明治大学の廣部泉教授(歴史学)は8月23日配信のWedge ONLINEの記事「【日本人の顔が見えない!】アメリカ社会で低下する日本の”存在感”、このままでは日本の歴史も捻じ曲げられる」の中で、米国社会での日本人の存在感を高める人物として大谷選手を取り上げ、「大谷翔平選手に希望的未来像をみることができる。力や大きさを貴ぶ米国人にとってわかりやすいスーパースターである彼は、貴重な存在だ。また大谷選手は勤勉の美徳を通じて日本人に対する共感を醸成し、よきチームメイトの一人として尊敬を集めている」と評する。

 その上で、「だが、日本のメディアはチームメイトなどにしつこく『大谷をどう思うか?』といった質問ばかりをし続けている。はじめは素直に『大谷は素晴らしい』と答えてくれていた彼らもだんだんと疎ましく思うのではないだろうか。日本のマスコミが疎まれるだけならまだよいが、大谷選手が疎まれるような存在にならないか、筆者は心配でならない。日本人としてやるべきことは、大谷選手のような日本人の『顔』となっている日本人が、活躍できる環境を整え、一人でも多くの米国人、米国社会に、日本への関心や共感をもたらすようにしていくことではないだろうか」と指摘する。

 今年5月発売の『大谷翔平の社会学』(扶桑社新書)の中でも、著者でフリーライターの内野宗治氏がメジャーを取材していた当時、「外国人や人種的マイノリティの選手も多いMLBのクラブハウス日本人選手と彼らを取り巻く日本人記者たちは『浮いている』ように見えた。英語やスペイン語が飛び交うクラブハウスで、そこのみ『日本人村』が運営されているように感じた」と振り返る。

 例外的な記者もいるとした上でだが、「日本人記者の多くは、日本人以外の選手や記者たちとはあまり交わらない。交わったとしても、多くの場合は『大谷についてどう思うか』といった具合に、日本人選手についてのコメントを引き出すためだ。(中略)日本のスポーツ紙や通信社から派遣されている日本人記者にとって、なすべき日々の仕事は『日本人選手の情報を確実に得る』こと」とし、「そういう『空気』が日本人記者たちの間で漂っているように感じられた」と指摘する。

 実際、日本メディアが追いかけるのは大谷選手に特化した情報に比重が置かれる。エンゼルス時代に大谷選手のプレーの詳細を報じた後、申し訳ない程度に試合結果に触れる「なお、エンゼルスは試合に敗れた」の略語として「なおエ」がネットスラングとして流行した。

日本のスポーツ報道は「チアリーダー」

 新聞社の記者として米大リーグを取材した経験もある筆者にも、この手の取材手法に関する批判は耳の痛い話ではあるが、的を射ているのも事実だ。日本メディアも監督などの「囲み取材」では、米メディアの取材の流れを汲み、終盤に日本人選手に関する質問をするなどの配慮はしている。また、同僚の選手たちが大谷選手が節目の記録を達成したり、勝利を貢献した場合にどう思っているかということは、大谷選手を報じる上では重要な要素でもある。

 ただ、日本メディア(記者)の数はとても多く、それぞれが個別に聞けば、同僚の選手は何十回も同じ質問に答えることになる。このことで、日本メディアを疎ましく思う選手がいてもおかしくはないだろう。

 内野氏も「僕らが今日、大谷の活躍に一喜一憂できるのは、日本のメディア関係者が時に『岩によじ登って』でも大谷の一挙手一投足を追いかけ、その詳細を日々伝えてくれるからだ。メディアが伝える大谷の姿を見ていると、彼の存在が『日本人』の国際的な価値を高めてくれているようにさえ感じる」と評価する一方、「しかし、その舞台裏ではもしかすると、大谷を取り巻く日本のマスコミ関係者が白い目で見られているのかもしれない。最悪の場合、彼らの身勝手な行動が『日本人』の国際的な評価を貶めてさえいるかもしれない」と廣部氏と同様に懸念する。


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