もちろん、読者の関心の高いニュースを届けることは、メディアの大事な使命である。特に新聞などの活字メディアは従来、一つのプレーの裏で、選手がどのような努力を積み重ねてきたか、恩師や家族、同僚との絆の存在など、映像からは見てとれない「エピソード」を紹介することで紙面価値を高めてきた。こうしたエピソードを書くために、「ネタは足で稼げ」という格言がメディアの中には存在する。
一方、内野氏は前述の著書の中で「マスメディアのスポーツ報道はたいていが、アスリートの『見えざる苦労』や『知られざる素顔』を描いたヒューマンドラマに仕上がるのがお決まりのパターンだ。日本球界を長年取材してきた米国人作家、ロバート・ホワイティングが日本のスポーツ報道を『チアリーダー』と表現したゆえんである」と切り込む。
時代は刻一刻と変遷する中で、メディアの報道姿勢も変化を求められているのかもしれない。大谷選手に関しては、スタイリッシュな容姿や、映像からも伝わる圧倒的なパワーやスピードが、活字の表現領域を超越している実情もある。メディアは、表現そのものを放棄し、SNS上のファンの感想や声を紹介してお茶を濁すネット記事も散見されるようになってきた。
歴史に名を刻む大谷翔平をどう報じていくか
打開策はあるだろうか。一例にデータジャーナリズムがあるだろう。これは、大量のオープンデータを解析し、可視化することで、埋もれていたニュースの価値を掘り起こす調査報道の一つである。
スポーツは蓄積された過去の記録との比較から、パフォーマンスの価値を見出すことが基本線にあり、親和性は高い。ただ、この手の記事には手間や時間を要する上、原稿そのものも長くなり、ネット上では「読まれにくい」記事に分類されるだろう。情報の大量消費の時代にはそぐわない面もあるが、だからこそ、記事の価値も高くなる可能性を秘める。
日本人の存在感を国際的に高め、メジャー史にも名を刻む稀代のスーパースターである大谷選手が現役時代にどう報じられたか。記事や映像は、資料として後世にまで残ることは間違いない。それゆえに、日本メディアの姿勢も厳しく問われていいのではないだろうか。