2024年10月11日(金)

生成AI社会

2024年10月11日

 人工エージェントは、人がみずから余計なコンテンツから興味のあるコンテンツを選り分けるのを助けたり、自分では気づかないことを通知してくれたりします。そういった意味で、人工エージェントを使うことで人の認知は拡張されているといえるでしょう。(中略)

驚くほど増加しているAI生成物

 テクノロジーを介してみずからの創造性を表現することも増えてきています。紙や鉛筆、コピー機等、いろいろなメディアを使い、私たちは表現します。

 視覚に難のあった哲学者フリードリヒ・ニーチェは、後年タイプライターを使いました。そのことについてメディア研究者のフリードリヒ・キットラーは次のようにいっています。

 自らが機械化されたことを公表するのに、他のどんな哲学者よりも誇りを覚えていたニーチェは、論証からアフォリスムへ、思索から言葉遊びへ、修辞から電報文体へと変容していった。そしてまさにこのことが、文具はわれわれが思考するさいにともに作業しているという、あの一文の意味しているところなのだ(※4

 手で書くのに比べて、タイプライターを使えば数倍のスピードで書くことができます。

 アメリカの作家ジャック・ケルアックは、タイプライターを使って自分の中に渦巻いているものが消えてしまわないうちに高速でタイピングしました。そのためにタイプライターに必要だった紙の差し替えを嫌って、巻き紙に名作『オン・ザ・ロード』をタイプしています(※5)。書くテクノロジーによって、私たちの創作物は影響を受けています。

 そして、いまはコンピュータを使った表現が気軽に行えるようになりました。実感しにくいことかもしれませんが、手書きよりも身体的に楽に、そして早く書けるようにもなってきています。

 私の経験でいうと、大学に入る前、日本語の文章の書き方がまったくわからず戸惑った時期がありました。いまでも文章の難しさにいつも直面していますが、あの当時、文章の書きかたがわかるのではないかと考えて、よい文章の本を1冊まるごと手でノートに書き写してみようと試みたことがあります。

 しかし、少しずつ写していきながらも、途中で絶望感にかられました。何日も何日も時間を費やしたにもかかわらず、手が痛くなっても、写し終わる目処がまったく立たなかったのです。結果的に挫折しました。手で書くのは、かなりの体力が必要とされます。

 小説家の浅田次郎がある講演で語っていたことですが、日本の小説は、1980年代以降にワープロが使われだしてから、どんどんその分量が多くなっています。

 日本最大の小説投稿サイト「小説家になろう」は、小説掲載数が100万点 (2023年8月時点) をこえていることだけでも驚きですが、文字数が100万字を超える作品が一定数あることにも驚きを隠せません。これが手書きであったら作品数も文字数も大きく減るでしょう。生成AIを使うことにより、今後、作品数だけでなく文字数も著しく増えていくのではないでしょうか。

 ルールベースのAIを使った創作は古くから行われてきました。1960年代には、すでにAIが創作することが指摘されています。

 たとえば、ピエト・モンドリアンの抽象絵画をシミュレートするプログラムが作られて模造品が作られました。1980年代にも、コンピュータがバッハ調の音楽を作曲する試みがなされています。

 コンピュータのアルゴリズムを使って作品を生み出すジェネラティブ・アートも、長く続いてきました。河口洋一郎の作品は、いまいる生き物とはまったく違った、妙に魅力的な造形がCGで表現されています。

※4キットラー、フリードリヒ・A.(1999)『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(石光泰夫・石光輝子訳)、筑摩書房

※5旦敬介(2010)『ライティング・マシーン』インスクリプト

 

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