文人墨客に愛された
高級旅館
現在、熱海市の所有となって公開されている起雲閣は、海運王の別邸を鉄道王の根津嘉一郎が引き継いで大きく増築し、さらに金沢の旅館業者が買い取って、47(昭和22)年、高級旅館としてオープンさせた。広大な日本庭園を取り囲むように和洋館が建ち並び、中でも根津が丹精込めた洋館には3部屋があり、内装の凝ったデザインや使われた部材、本式の暖炉や数々の調度品に至るまで、目を見張るばかりの豪華さである。そのまま旅館に引き継がれ、開館と同時に多くの著名人、中でも有名作家が数多く訪れた。
当初は本館と別館があったが、別館は85年に売却され、いまはない。運営管理にあたるNPOの中島美江さんによれば、旅館廃業後、本館も競売にかけられたというから、危ういところだったのだ。
太宰は、別館に1カ月ほど籠って原稿を書き続けた。途中2日間、この本館に泊まって骨休めをした。その部屋がいまに遺されている。
玄関に近い和館2階の「大鳳の間」は、10畳と8畳の二間続き。長押を2段にして天井を高く上げているので、部屋は広々と感じられる。欄間と床の間の壁が紫に彩色され、和室にしてはモダンな印象を残すものの、床脇の障子窓に細竹を使うなど、部材は高価なものを揃えている。
部屋を囲む三方には広い畳廊下が回されて、外に向けて全面、ガラス戸張りとなっている。廊下の天井は斜めに切られ、梁に20メートルはあろうかという一本丸太が使われている。ガラス戸の先にかつては海が見えたというから、その開放感は格別だったに違いない。
生涯をかけた作品に筆を走らせつつ、太宰は何を思ったろうか。自宅には妻と3人の幼子があり、半年前には別の女性との間に女児を誕生させていた。この3カ月後、山崎とともに入水した。享年39。
私が学生の頃までは、太宰の文学的評価はさほど高いものではなかった。人間の強さや信念が重んじられた時代では、太宰の追求した〝弱き者の文学〟は旗色が悪かったのだろう。だが、時代が進むにつれて人々は他者への共感や社会との一体感を失い、みな、生きることに困難を抱えるようになった。『人間失格』が名作随一の地位をうかがうのは、故なきことではないだろう。
『人間失格』のラスト、身勝手な主人公に酷い仕打ちを受けてきた女が、本人について問われ、こう語る。
─とても素直で、よく気がきいて(略)神様みたいないい子でした。
弱さゆえの優しさ、太宰はこの一行が書きたかった、私にはそう思えて仕方ない。