2025年5月13日(火)

偉人の愛した一室

2025年1月26日

文人墨客に愛された
高級旅館

 現在、熱海市の所有となって公開されている起雲閣は、海運王の別邸を鉄道王の根津嘉一郎が引き継いで大きく増築し、さらに金沢の旅館業者が買い取って、47(昭和22)年、高級旅館としてオープンさせた。広大な日本庭園を取り囲むように和洋館が建ち並び、中でも根津が丹精込めた洋館には3部屋があり、内装の凝ったデザインや使われた部材、本式の暖炉や数々の調度品に至るまで、目を見張るばかりの豪華さである。そのまま旅館に引き継がれ、開館と同時に多くの著名人、中でも有名作家が数多く訪れた。

 当初は本館と別館があったが、別館は85年に売却され、いまはない。運営管理にあたるNPOの中島美江さんによれば、旅館廃業後、本館も競売にかけられたというから、危ういところだったのだ。

 太宰は、別館に1カ月ほど籠って原稿を書き続けた。途中2日間、この本館に泊まって骨休めをした。その部屋がいまに遺されている。

大鳳の間の壁は美しい紫色が特徴だ。他にも鮮やかな青の麒麟の間や、朱に染まった孔雀の間などがある

 玄関に近い和館2階の「大鳳の間」は、10畳と8畳の二間続き。長押を2段にして天井を高く上げているので、部屋は広々と感じられる。欄間と床の間の壁が紫に彩色され、和室にしてはモダンな印象を残すものの、床脇の障子窓に細竹を使うなど、部材は高価なものを揃えている。

 部屋を囲む三方には広い畳廊下が回されて、外に向けて全面、ガラス戸張りとなっている。廊下の天井は斜めに切られ、梁に20メートルはあろうかという一本丸太が使われている。ガラス戸の先にかつては海が見えたというから、その開放感は格別だったに違いない。

特徴的な「二段長押」以外にも、貴重な柾目の柱や外の空気を取り入れる「無双窓」など、シンプルな間取りながら豪華なしつらえだ。

 生涯をかけた作品に筆を走らせつつ、太宰は何を思ったろうか。自宅には妻と3人の幼子があり、半年前には別の女性との間に女児を誕生させていた。この3カ月後、山崎とともに入水した。享年39。

 私が学生の頃までは、太宰の文学的評価はさほど高いものではなかった。人間の強さや信念が重んじられた時代では、太宰の追求した〝弱き者の文学〟は旗色が悪かったのだろう。だが、時代が進むにつれて人々は他者への共感や社会との一体感を失い、みな、生きることに困難を抱えるようになった。『人間失格』が名作随一の地位をうかがうのは、故なきことではないだろう。

 『人間失格』のラスト、身勝手な主人公に酷い仕打ちを受けてきた女が、本人について問われ、こう語る。

─とても素直で、よく気がきいて(略)神様みたいないい子でした。

 弱さゆえの優しさ、太宰はこの一行が書きたかった、私にはそう思えて仕方ない。

洋館にある「玉姫の間」は美しい折り上げ天井にシャンデリアが吊るされるなど日本とヨーロッパの建築様式が融合している
「玉姫の間」に併設されたサンルームは「アールデコ」のデザインを基調にしている。ステンドグラスの天上からふんだんに取り入れられた光がタイルの床に反射していた。
圧巻の「ローマ風浴室」。ステンドグラスやテラコッタ製の湯出口は建設当時のものが残されている
洋館にある「玉渓の間」はヨーロッパの山荘風の造りとなっているが、暖炉にサンスクリット語の飾りがあったり、入口の天井には竹が用いられるなど、独特の雰囲気だ。

 

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Wedge 2025年2月号より
災害大国を生きる 積み残された日本の宿題
災害大国を生きる 積み残された日本の宿題

「こういう運命だったと思うしかない」輪島市町野町に住んでいた小池宏さん(70歳)は小誌の取材にこう答えた。1月の地震で自宅は全壊。9月の豪雨災害時は自宅周辺一帯が湖のようになったという。能登半島地震から1年。現地では今もなお、土砂崩れによって山肌が見えたままの箇所があったほか、瓦礫で塞がれた道路や倒壊した家屋も多数残っていた。日本は今年で発災から30年を迎える阪神・淡路大震災や東日本大震災など、これまで幾多の自然災害を経験し、様々な教訓を得てきた。にもかかわらず、被災地では「繰り返される光景」がある。能登の現在地を記録するとともに、本格的な人口減少時代を迎える中、災害大国・日本の震災復興に必要な視点、改善すべき方向性を提示したい。


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