情報提供に消極的な教育現場
第2の原因は、教育現場等が情報提供に消極的なことである。
こどもの自殺の要因調査では、都道府県や指定都市の教育委員会、国立・公立学校法人等に対して、児童生徒の事件等報告書の提供を求めた。本来、この文書は都道府県教育委員会等が文科省に提出しているものである。それにも関わらず、二度手間をかけてわざわざ改めて調査をしているのは、この調査報告書の担当省庁がこども家庭庁だからである。
こども家庭庁からの調査依頼に対して、回答したのは47都道府県のうち17団体(36%)、20指定都市のうち3団体(6%)に留まった。国立・公立学校法人からゼロ回答である。
分析対象にできたのは2272事案のうち272事案、同期間内に自殺で亡くなった全国の児童生徒の数(自殺統計)のわずか12%に過ぎない。また、分析対象者の過半数は、事件等報告書のみで、詳細情報の提供はなかった。
「こどもまんなか社会」の司令塔であるこども家庭庁は、都道府県の教育委員会からそっぽを向かれている。そして、そのことを文科省も追認している。
こども政策担当大臣は、内閣府設置法第12条に基づいて、関係行政機関に対して「資料提出要求・説明要求」をもち、さらに強い「勧告」等の権限も有している。しかし、こども家庭庁として、文科省ないし都道府県教育委員会に対して、資料提出の要求、ましてや勧告したという話は聞いたことがない。
部外者である筆者の目には、省庁間の縄張り争いが優先され、お互いに忖度しあっているようにみえる。
残念なのは、こうした子どもの自殺の実態把握に対して、メディアも熱心とはいえないことである。こどもの自殺の要因調査を記事にしているのは、日本経済新聞社(2024年5月10日)と山陽新聞(2024年8月20日)など一部に留まる。
その報道内容も、「過去5年間に自殺した小中高生のうち、以前と変わりなく通学していた子が44%」「周囲に気付かれていなかったケースが21%」など、子どもの自殺の予兆は見えにくいとする政府発表を紹介するに留まっている。
トップの覚悟が自殺に関する公的データ活用の道を開いた
実態調査に協力しない教育委員会関係者はけしからん。そう批判することはたやすい。
しかし、情報提供に慎重なのには理由がある。こどもの自殺の要因調査では、「資料提供をしなかった理由」について追跡調査をしている。
その結果は、「こどもの自殺の事案がなかった」42団体を除けば、「調査研究のために作成したものではなく、 資料が提供可能なものか判断できなかった」が最多で48団体、「個人情報保護法上の『提供できない』と整理した」と「どのような形で分析結果が公表されるのかわからず、不安があった」が27団体、「自殺したこどもの遺族や学校関係者への影響を懸念した」が27団体となっている。
このほか、自由記述では、「報告書等はすべて文部科学省に提出している」との記載もあった。省庁間で連携せず、現場に負荷をかける運用に対する皮肉だろう。
清水さんも、「今回の調査は、情報提供の適否を都道府県教育委員会に任せたことにも問題があった」と認める。
もともと行政機関に身を置いた人間の立場からすると、いくらこども家庭庁が調査の最終責任を負うとはいえ、一民間団体の調査依頼に対して、シビアな個人情報を含む「児童生徒の事件等報告書」を提供することには、相当の抵抗感がある。とりわけ担当レベルでは、「問題になったときに自分の責任が問われないだろうか」と考える気持ちは、よくわかる。
実は、自殺対策の歴史の中で、こうした行政組織の消極的な対応には既視感がある。
本連載「未来を拓く貧困対策」でもたびたび取り上げている「警察庁自殺統計原票データ」は、自殺対策になくてはならない基礎データである。現在は警察庁から厚労省にデータが提供され、自殺対策の立案に生かされている。
しかし、自殺対策の声が高まる以前は、警察庁はデータの提供に消極的であった。小さな町村では、だれが、いつ自殺したのか、地域の人にはわかっている。統計データを出すことで、遺族や関係者を傷つけることを恐れたのである。これを警察庁トップの判断で、厚労省にデータを提供することを決めた。
組織の長が腹をくくることが、対策の大きな一歩となったのである。