日本の皇族の留学
日本の皇族で最初にオックスブリッジに留学なさったのは秩父宮雍仁親王であるとされる。大正末期に政治経済学を学ぶためにオックスフォードに留学なさったが、大正天皇のご健康が悪化したため、2カ月あまりで帰国されている。
今上天皇は、徳仁親王時代にオックスフォードのマートン・カレッジにて、ピーター・マサイアス教授の下、テムズ川水運史の研究をなさっている(徳仁親王著『テムズとともに 英国の二年間』、紀伊国屋書店)。
天皇陛下以上に本格的なご留学となったのが、彬子女王のケースである。2001年からマートン・カレッジに留学なさり、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行われ、2010年には博士号(Doctor of Philosophy, PhD)を修得されている。海外の大学からの課程博士号修得は、皇族として初の快挙となった(『赤と青のガウン オックスフォード留学記』)。
ただし、ご著書を拝読すればわかるが、お二人の留学は決して学問探求だけが目的ではない。留学中に積極的に動かれ、英王室を含む諸国の要人とご面会なさっている。そこが、一般の留学とは異なる点である。
学問に専念することを目的とした一般的な留学生とは、そもそも目指すところが異なる。これは当然のことであって、たとえ学生ないし大学院生の立場であるといっても、そこは国の代表である。
受け入れる英国の側も、他の学生とは異なる対応をする。他の学生に比して、課せられた責任が重く、普通の学生と同じことをしてはいられないのである。
トンボから地球へ
海外の王族の場合も、日本の皇室のお二人の場合も、いずれも専攻は、経済学、政治学、歴史学、国際関係論など文科系の学である。王族・皇族の立場を考えれば、多少とも国際政治に関わる学を専攻するのも自然な成り行きである。自らの本務から切り離して、学問を純粋に追求できる立場ではない。
さて、ここで悠仁さまのトンボである。生物学の研究は、帝王学のテーマとしてはやや異色である。ただし、このテーマはヤゴの生息に必要な湿地の保全という重大なトピックを秘めており、環境問題というグローバルな課題に直結する。今日、世界の王族のなかでもっとも環境問題に関心を持っている人は英国のチャールズ国王であり、皇太子時代から国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)で何度も演説している。
英国の場合、ケンブッジ近郊にウィッケン・フェンという最古の自然保護区があり、生態学や環境保護の拠点とされている。ナショナル・トラストによって管理され、ラムサール条約登録湿地でもあり、トンボについても希少種を含め20種類以上が確認されている。ケンブッジシャーの東隣のノーフォーク・カウンティには、ブローズと呼ばれる保護区があり、やはり希少種のトンボが生息している。
このあたりの自然環境は、サフォーク出身の画家ジョン・コンスタブルが描いた風景画を観ると、イメージがつきやすい。一方で、ケンブリッジ大学は生命科学の世界的拠点であり、トンボの遺伝子解析などお手の物である。
すなわち、各論として特定のトンボ種の生態学的研究を行いつつ、総論として環境保全に関する理論と実践を学ぶということが可能と思われる。
悠仁さまの場合、ご留学は個別の研究課題を探求するだけでなく、将来の皇室外交の礎となるものを築くことになろう。トンボの育つ湿地帯は、その存在自体が温暖化を抑制する効果を持ち、生物多様性の保全にも寄与している。この点は、チャールズ国王も大いに関心を持つであろう。、悠仁さまなら国王と意見公開する機会もあり得る。
トンボの研究をしていると聞けば、国王は当然そこを尋ねてくるであろう。その際は、霞ケ浦などの湖沼群の現状を、英国のウィッケン・フェンの例と比較しつつ説明することを、英語で行うことになろう。ご学業といっても、普通の学生の勉強とは、内容も目的も異なるのである。
筆者としては、悠仁さまが将来、生態学の豊かな知識を披露しつつ、環境問題について英語でスピーチなさる姿を想像してみたいと思う。
