だからこそ、ヒトラーは権力を握れなかった。ところが、30年代のデフレでは、失業率は4割を超えた。労働の価値がゼロになってしまった人が4割になったのである。ナチスは、この混乱の中で、人々の敵愾心をあおり、政権を奪った。
政権を奪った後に何をしたか。金融を緩和してデフレから脱却し、景気を回復させ、アウトバーンという高速道路を建設し、フォルクスワーゲン(国民車)を作るという産業政策も行った。すべては大成功だった。国民はこの大成功を見て、ナチスの対外政策、ヨーロッパ征服も正しいのではないかと思ってしまった。日本の軍部もそう思ったのである。
そもそも、ヒトラーの前の政権が、金融を緩和し、デフレから脱却すれば良かっただけである。そうすれば、失業率は低下し、人々は理性を取り戻し、人種差別や世界征服を呼号するナチスに投票などしなかっただろう。ヒトラーは政権に就くことができず、第二次大戦は起こらなかった。
しかし、この単純なストーリーではドイツのエリートには都合が悪い。金融を緩和し、デフレから脱却すれば良かったというだけでは、エリートがあまりにも無能である。ヒトラーが政権に就く3代前の首相はハインリヒ・ブリューニングだ。古典教育を受け、哲学、史学、経済学を学んだ、ドイツ文化を体現するエリートである。そこで、彼らは、インフレがナチスの台頭を招いたという物語を作り、体面を取り繕おうとしたのだ。
金融を緩和するだけなら、エリートがそう決めれば良いだけの話である。しかし、第一次大戦後のハイパーインフレは、エリートが断固としてインフレを拒否すれば良かったという訳にはいかない。膨大な借金をしながら、軍備に金をつぎ込んでいた。軍備への支払いをしなければならない。戦争が終わって兵士が帰ってくる。彼らに給与を払わなければならないし、遺族年金も払わなければならない。兵士に給与を払わなければ、反乱を起こすだろう。