もちろん、ナイのいうソフト・パワーが大きければそれに越したことはないが、国家の行動への影響力を考えるのであれば、E. H. カーが言及した「意見を支配する力」に注目すべきではないか。「意見を支配する力」を持つには、多くの国が共感をもつ理念を提示できるかが重要である。
グローバリゼーションについての分析には物足りなさを感じる。トランプは、グローバリゼーションのあおりを受けている層に支持されて、再度、大統領の座をつかんだ。問題は、グローバリゼーションが全体として米国に利益をもたらしたとしても、その利益の分配が著しく偏ったものとなっている現状にどう対応するかであり、グローバリゼーションとともに進行した産業構造の変化の中で置き去りにされた人たちをどうするかである。
トランプは、そこで製造業の復活を提示している。それは「経済上の壮大な実験」というべきもので、成功しない可能性が高いと思われるが、トランプを批判しようとするのであれば、こうした分配の問題、産業構造の変化への対応策を示す必要がある。
「米国を再び偉大に」を批判するだけでは進まない
国際秩序についての議論にも物足りなさを感じる。トランプ政権は、従来の国際秩序(自由貿易体制、同盟の仕組み)を大きく揺さぶることを意図している。
ここでの問題は、従来の国際秩序を大きく揺さぶるとして、その後にどのような国際秩序を想定するのか、それが見えないことである。秩序が崩壊すれば困るのは小国だけではなく、米国も大国として秩序によって利益を得てきている。むしろ、どのような国際秩序となるかは、大国にとって「掛け金」が大きいだけに、重要問題である。
現在の米国の利益により適うように、どう国際秩序を変えていくのか。国内の問題ばかりから発想しているトランプには、それが見えなくなっているのではないか。
米国は「国際秩序がどうなっても良い」と言うには、グローバルパワーでありすぎる存在である。そして、現在の米国の利益により適うように国際秩序のあり方を変えていくためには、「意見を支配する力」を活用して、米国のためにもなるが、同時に、他国のためにもなる仕組みと理念を提示すべきだが、それが見えてこない。
コヘインとナイが問題にすべきなのは、「米国を再び偉大に」するためには「アメリカ・ファースト」の発想だけでは足りないということであったように思えてならない。
