2025年12月6日(土)

終わらない戦争・前編沖縄

2025年6月26日

 それにはある種の「被害者」としての共感が関係しているのではないか。もっと踏み込んで言うと、中国人は沖縄の人のことを日本人と同列に見ていない可能性がある。1972年の日中国交正常化に際し、中国は「日本人も軍国主義の被害者だ」というロジックをつくり出したが、中国人と同じく、軍国主義の被害者に当てはまるのは沖縄の人であるという感覚があるのではないか。

岡本 中国を「おもてなしする」という行為は、「歴史」を知らない本土の日本人には理解しづらい面がある。沖縄に対するものの見方、焦点が定まらない要因の一つなのかもしれない。

「琉球処分」により
日中関係は悪化へ……

──ここで沖縄と中国の歴史的関係性を振り返りたい。

岡本  中国(明朝)は14世紀以降、朝貢を主軸とする対外関係を確立した。周辺諸国が中国に手土産を持って挨拶に行く儀礼的関係である。これにより、中国との上下関係が規定された。マナー違反や失礼な言動があった場合、中国は武力行使など、制裁を加えることもあった。親が子どもを叱りつけるイメージだ。そのため中国と地続きのベトナムや朝鮮には常に一定の緊張感があり、その関係性は清朝以降も継続した。

 それに比べ、中国と琉球王国の関係は極めて実利的なものだった。琉球王国は島国なので、普段は中国の手が及ばない。琉球王国が手土産を持っていくと、中国は引き出物をたくさん与え、琉球王国はそれを元手に他の国々と取引を行う「朝貢貿易」を行っていた。その中で、日本とも関係を持つようになる。

富坂 当時、琉球王国にとっては、居心地の良い、ある意味で平和な時代であったということか。

岡本  17世紀初頭に薩摩藩が琉球王国を侵攻・征服して以降も、薩摩(日本)にも中国にも頭を下げる「両属」は続いたが、中国は日本と琉球王国の関係をあまり知らなかったというのが実態だ。琉球王国は、清朝に日本との関係を「隠蔽」しており、その意味で緊張関係はあった。

 ただ、当時の中国は、あまり日本と事を荒立てたくなかったし、日本も同様であった。江戸時代を通じてお互いの自制が働き、琉球はそのはざまで、内政と外交のイニシアチブをとるような状態が続いた。この期間が、沖縄の人たちがよく言う「独自外交」や「自己決定権」の歴史的な根拠になっている。

 その関係が揺らぎ始めたのが明治時代以降だ。西洋的な主権国家の概念からすれば、同時に別の二国に従属するのはあり得ない状態である。明治維新によって近代国家を目指した日本は、西洋側の論理に立ち、「沖縄は日本の一部である」「外交権はない」との前提で話を進めていく。中国側は、儀礼的な関係が維持される分には、既存の秩序が保てるが、琉球との朝貢関係が壊されると、周辺諸国にも影響が及ぶ。琉球側も清朝を巻き込んで「両属」の継続を図ろうとするなど、「琉球救国運動」が起こった。


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