「なぜロシア出身?」
次の世代でも交流を
「なんでロシア出身なの?」。私がサハリン出身だと話すと、世代問わず何度もこう問われます。
南樺太にいた私の祖母は、タイミング悪く引き揚げ船に乗ることができず、残留を余儀なくされました。祖母は「日本に帰りたい」とずっと思っていたそうで、帰国した時は嬉しそうだったと聞いています。
約30年前に両親、兄、祖母とともに永住帰国をしました。私は7歳でした。日本に来てびっくりしたことは、エレベーターやエスカレーターがあること。自動ドアを見た時も驚きました。
日本に来たばかりの頃は日本語を理解できませんでしたが、周囲の助けもあり、徐々に覚えていきました。高校、大学では、幼少期に親しんだロシア語を専攻しました。今は私の娘もロシア語に興味を持ち、一緒に勉強しています。
私は心から「サハリンに住んで良かった」と思っています。多くの日本人とは違う言語、文化のもとで過ごし、客観的に日本を見ることができるようになったからです。
早くサハリンに住む親戚に会いたいし、お墓参りもしたい。最近、サハリンのいとこに子どもが生まれたのですが、輸出規制の影響から、おもちゃすら自由に送ることができません。せめて個人間は自由に交流させてほしい、将来的には元通りに自由に往来できるようになってほしい。
北海道でもサハリンを知らない人は多く、近い将来、家族に関係者がいても、サハリンを知らない人が増えていくかもしれません。サハリンに関わる人同士でのつながりはなくしたくない。いつか、若い世代同士で交流イベントを開きたいですね。
