昨年10月、日本のコンテンツ業界に大きな衝撃が走った。
経団連が政府に対し、「コンテンツ省(庁)」の設立を提言したのである。経団連が政府や与党に対して経済政策を提言することは珍しくないが、新たな政府機関の設立を、しかもここまで具体的に求めるのは極めて異例だ。
経団連は一つのコンテンツが生み出す付加価値の高さに注目し、それを最大限に引き出すための国家戦略が不可欠だと考えたに違いない。そして彼らは、隣国・韓国が進めてきたコンテンツ戦略や文化政策の成功を、間近に見てきたはずだ。
一方で、韓国のコンテンツは「国策による〝ゴリ押し〟で売れた」という声を耳にすることがある。
文化政策の支援に携わった立場として、私自身もたびたび受ける質問なのだが、「国策で売れた」というのは、まったくの誤解である。詳細は後述するが、韓国には明確な政策があった。それは、国の後押しによって、優秀な若者が「コンテンツ産業に関わりたい」と思える環境を整備した点である。
なぜ、韓国はそうした方向に舵を切ることができたのか、まずはその歴史的経緯を振り返ってみたい。
韓国の現代史において「悪夢」とも称される出来事の一つが、1997年の通貨危機と、それに伴う国際通貨基金(IMF)による救済である。88年のソウルオリンピックを機に急成長した韓国経済は、10年後に突如として深刻な危機に見舞われた。2001年8月まで続いたIMF救済は、韓国経済に抜本的な再構築を迫った。結果として、政府は大規模な構造改革に踏み出すことになる。
悪化する韓国社会に再生の兆しをもたらしたのは、IMFの監督下に入った翌年、1998年2月に就任した第15代大統領・金大中(キム・デジュン)氏の政策だった。
金大統領は、世界が一つの村のようにつながる情報化の時代の原動力はインターネットやITの普及にあると考えていた。そして、韓国をこの変革の先頭に立たせるべく、「文化」を核とした新たな産業の創出を訴えた。同年10月の演説で金大統領は自らを「文化大統領」と名乗り、文化・観光産業を基幹産業として育成し、海外市場の開拓に国家として取り組むことを力強く宣言した。
文化という情緒的な価値をコンテンツに内包させ、創造性を通じて知識の競争力を高めることを狙った文化政策は、当時の国民生活に直接的な変化をもたらしたとは言いがたい。リストラの波に飲まれた家族、自営業の廃業、親の失業によって学業を中断せざるを得なかった子どもたち──。そうした厳しい現実の中で、「文化を基幹産業とする」という戦略は、韓国経済再建のための起死回生の賭けでもあった。
そうした中で、ITやデジタルコンテンツへの重点的な投資や、「文化産業振興基本法」の改正、「オンラインデジタルコンテンツ産業振興法」の制定など、「新産業」への転換に向けた各種施策が、着実に実行に移されていった。
その象徴的な取り組みの一つが、「コンテンツ政策の頭脳」とも称される韓国コンテンツ振興院(KOCCA)の設立である。前身である「文化コンテンツ振興院」は、IMFの監督下にあった2001年に設立された。その後09年に、5つの関連機関を統合しKOCCAが発足。映像やゲーム、ソフトウェアなど、多様な分野を横断的に支援する統合的なコンテンツ振興政策の中核機関として、その役割を担っている。
