2025年12月5日(金)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2025年8月12日

なぜ日本で「マスク神話」が生まれたのか

 マスクへの対応は国や地域で大きく異なった。個人主義や表現の自由を重んじる欧米では「顔を隠すこと」への抵抗感が強く、マスク義務化は個人の自由の侵害と捉えられ、各地で反対デモが起きた。

 一方、日本ではマスク着用が半ば当然のように受け入れられ、需要急増で市場からマスクが消え、「買い占め」や「高額転売」が社会問題となった。着用しない人への社会的非難、いわゆる「マスク警察」の出現や、熱中症のリスクがあっても外せない社会的同調圧力も存在した。

 この高い受容性の背景には、既存の文化がある。日本では1918年のスペインかぜ流行時に政府がマスクを推奨した歴史があり、戦後は学校給食での着用が習慣化し、花粉症の流行で季節的な着用も日常風景となっていた。

 さらに、「風邪をひいたら他人にうつさないためにマスクをする」という礼儀作法が、新型コロナ対策の文脈と一致し、同調圧力の強い社会文化の中で、マスク着用が「常識」として定着した。テレビや新聞などのメディアがマスクの必要性を繰り返し強調したことも、科学的有効性を超えた「安心感」を求める風潮を後押しし、「マスクこそが感染を防ぐ」という日本独自の「マスク神話」が形成されたと考えられる。

 現在では、マスクは感染防止というよりも、自己の社会的不安を管理するツールとしての役割を強めている。表情を隠すことでコミュニケーションの負担を軽減したり、外見上のコンプレックスを隠したりする目的での着用が、特に若者や女性の間で顕著である。

マスクは熱中症のリスクを高めるのか?

 最後に、熱中症のリスクについてである。厚生労働省や環境省は「高温多湿の環境下でのマスク着用は、熱中症のリスクが高くなる」と警告している。その理由は、マスクによって体内の熱が逃げにくくなること、マスク内の湿度で喉の渇きを感じにくくなり脱水症状につながりうること、そして心拍数や呼吸数などが上昇し身体に負担がかかるためである。

 一方で、日本救急医学会(JAAM)などは「健常成人においてマスクの着用が熱中症の危険因子となる根拠はない」としている。

 この見解の相違は国民に混乱を生じさせたが、矛盾の原因は明らかであり、目的と対象範囲の違いにある。政府の勧告は、子どもや高齢者、基礎疾患を持つ人を含む、あらゆる人々を対象とした「予防原則」に基づき、潜在的なリスクを避けるための、分かりやすく安全な指針である。他方、JAAMの見解は、主に医療専門家向けに、健康な成人を対象とした臨床研究に基づいた、より専門的な知見を述べたものである。

 結論としては、健康な成人の場合、マスク着用が直接的に熱中症を引き起こす可能性は低いと言える。しかし、マスクは身体に様々な生理学的負荷をかけるため、子どもや高齢者、持病のある人などでは熱中症のリスクが高まる可能性がある。したがって、特に暑い環境下でのマスク着用は、熱中症のリスクを考慮すると、推奨はできない。

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