2025年12月5日(金)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2025年8月15日

 台湾とフィリピンの間のバシー海峡は「慟哭の海峡」と呼ばれる。

 第二次世界大戦末期、フィリピンのレイテ島などをめぐる米軍との決戦のなかで、日本軍は兵士や物資を現地へ送らなければならなくなった。日本から向かう補給船が必ず通るべき海域、それが台湾とフィリピンとの間のバシー海峡である。

 米軍は当然、この補給船を狙った。米潜水艦により、補給船は次々と沈められ、バシー海峡は「輸送船の墓場」とも呼ばれるようになった。海峡に散った命は10万人とも20万人とも言われる。

パジ―海峡の戦没者の慰霊祭が台湾で行われた(筆者撮影以下同)

 その慰霊祭が8月3日、死者たちを慰霊するために建立された屏東県の恒春半島の最南端に位置する潮音寺で開催された。例年は秋の実施だが、今年は戦後80年記念慰霊祭ということで8月の開催になった。

 筆者も日本から初めて参加させてもらった。恒春半島は台湾の最南端。とにかく遠く感じる。台北に飛び、そこから台湾高鉄(台湾新幹線)で高雄まで2時間、高雄からバスでさらに2時間。高雄前泊後泊が必要なので2泊3日の行程になる。

遺族や日本・台湾の関係者らの思いが込められた

 慰霊祭の前日から台湾南部は水害レベルの大雨が続き、式典の直前にも視界ゼロほどの豪雨に襲われたが、潮音寺にはご遺族、慰霊祭の実行委員会、日本と台湾の政府関係者、メディアなど150人が集まった。慰霊祭は実行委員会による開会の辞、福岡資麿厚生労働大臣によるメッセージを片山和之・日本台湾交流協会代表が代読し、蘇嘉全・台湾日本関係協会長の弔辞、ご遺族の弔辞、慰霊の読経があった。ご遺族の弔辞は、残された人々の心情を切々と伝える大変心に染みる内容で、来て良かったと感銘を受けた。


新着記事

»もっと見る