もう一つ、映画に表れる愚行に連帯責任がある。新兵ひとりが犯した過ちは、同期全員の責任とみなされ、同じときに入隊した新兵全員が古年兵に這いつくばって謝って回る。
これも、筆者が属していた同じ中学のバレーボール部で励行され、ひとりの1年生が練習中に飲んではいけない水を飲むといった「罪」を犯すと、1年生全員がうさぎ跳びで校庭を一周させられる罰を受けた。
半ば形式的にはなってはいるが、大人相手の武道の稽古でも、ひとりが「一つ、我々は……」ではじまる訓戒を間違えたときなど、全員がその場で罰の腕立て伏せをするといったことが今も行われている。
こうした理不尽な振る舞いも、従軍経験が広めたのではないかと疑いたいほどだ。
「真空地帯」の再現は本当にないのか?
映画は、やはり従軍経験のある俳優、木村功(1923~81年)が演じる木谷が陸軍刑務所から2年の刑期を終え中隊に戻ってくるところから始まる。彼を受け入れる中隊の古年兵は当初、木谷の素性がわからず、腫れ物に触るような扱いをするが、次第に「監獄がえり」とわかり、じわじわと彼をいたぶり始める。
クライマックスは木谷が古年兵相手に「監獄がえりが悪いのかよお!」と爆発する場面だ。
入隊年次の差、階級差の間で自動的に生じる兵隊同士の暴力、屈辱、へつらいに嫌気がさしている観客は、木谷の怒りにカタルシスを期待する。が、爽快さは微塵もない。
木谷は古年兵のみならず、新兵、彼に優しく接してくれる教員上がりの同輩も一列に並ばせ、平手ではなく拳で殴りつけていく。
何一つ救いのない、軍隊という閉ざされた「真空地帯」の現実を、映画はこれでもかと映し出していく。
いまは時代が違う。仮に戦争になったとしても兵には自由がある。あのようないじめも暴力もないだろう。あくまでも大日本帝国時代の、80年も前の話であり、日本人はその後変わったのだ。「真空地帯」が再現されるはずはない。
そんなふうに思いたいところだが、そう言い切れる人がどれほどいるだろうか。
