2025年12月5日(金)

Wedge REPORT

2025年8月21日

 この季節になると日本中を覆い尽くすのが、いわゆる「8月ジャーナリズム」だ。8月6日の「広島原爆の日」から15日の「終戦記念日」まで、新聞やテレビなどメディアでは第2次世界大戦に関連した特集が次々に取り上げられる。

(holgs/gettyimages)

 現在、50代前半の筆者は80年前の8月を知らない。だが、四半世紀以上にわたって自衛官生活を送り、大学院で政軍関係を研究したことから、軍事については専門的な知識をもっているつもりだ。そんな筆者は、8月ジャーナリズムにズレを感じることが多々ある。

 それは筆者自身のイデオロギーとのズレではなく、当時、当たり前だったことが現在では忘れ去られていることに起因するズレだ。

 本稿では、筆者が解説を記したオーラルヒストリー集、和久井香菜子著『私たちもみんな子どもだった 戦争が日常だった私たちの体験記』(2021年、ハガツサブックス)を振り返りながら、歴史と現在の関係について考えていきたい。

忘れ去られる当時「当たり前」だったこと

 時が平成から令和に遷ってまもなく、筆者は和久井香菜子というライターと出会った。終戦当時、子どもだった人たちが、どこでどのように玉音放送を聞いたのかというオーラルヒストリーを蒐集しているという。筆者が軍事面での考証や解説を担当することになった。

 筆者と同世代の彼女は、「戦争を経験した人たちと経験していない私たちとでは、こんなにも感覚が違うのかと驚いた」と口にした。戦後教育を受けた彼女は、戦争を生きた世代は皆一様に被害者であり、犠牲者であると教えられてきたが、実際に人々から話を聞いてみると、「誰一人として同じ体験はしておらず、一人ひとりのエピソードが生き生きとしていた」ことに気づいたという。

 そんなの当たり前の話だ。しかし、この当たり前の話が歴史の網ですくいとられず、抜け落ちている。先に述べたズレを感じている部分は、そこだ。私たちは、当時の当たり前をそのまま受け止めることに決めた。


新着記事

»もっと見る