近江商人の精神が
息づく旧宅
豊郷の駅を出て少し歩くと旧中山道に行き当たる。その左手、生家の伊藤長兵衛家があった隣に立つのが忠兵衛旧宅である。いまは車2台でいっぱいの道幅に、かつて天下の往来があったかと思うと感慨が深い。創業家によって大切に守られている記念館で、常務理事の桂田繁さんに出迎えられる。
主人が地元に留まった伊勢商人と異なり、近江商人の場合、主は出店した先に住み込み、近江の家は妻に任された。忠兵衛の妻、八重は麻布の仕入れから発送まで取り仕切ったばかりか、店で必要とされるもの一切を整えて送り届けた。地元で採用した若者を仕込んで送り出すのも重要な役目だった。
八重によって切り盛りされた屋敷には、近江商人の質実な暮らしぶりが見て取れる。やや贅沢な作りになっているのは、忠兵衛の還暦を祝って増築された奥の間と仏間である。 奥の間は10畳の書院造り。縁が廻されて広い庭に面している。つかの間、郷里に戻った忠兵衛はここで寛ぎの時を過ごしたろう。ただし、本人がここを使ったのはわずか2年に過ぎなかった。
隣り合う仏間も10畳あり、豪華な仏壇が納まっている。忠兵衛は熱心な一向宗(浄土真宗)の門徒だった。近江一帯は中世以来、同宗の盛んな地であり、忠兵衛は阿弥陀仏を厚く信仰するとともに、商売は菩薩の業、そう常々口にした。曰く、商売道の尊さは、売り買いいずれも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの、と。近江商人の〝三方よし〟の精神、売り手によし、買い手によし、世間によしと同義であり、一説に江戸期の中村治兵衛家の家訓とされるこの商人道は、実は初代忠兵衛が初めて言葉にしたものだと、地元の碩学は断言する。
