2025年12月6日(土)

偉人の愛した一室

2025年9月28日

近江商人の精神が
息づく旧宅

 豊郷の駅を出て少し歩くと旧中山道に行き当たる。その左手、生家の伊藤長兵衛家があった隣に立つのが忠兵衛旧宅である。いまは車2台でいっぱいの道幅に、かつて天下の往来があったかと思うと感慨が深い。創業家によって大切に守られている記念館で、常務理事の桂田繁さんに出迎えられる。

この日はあいにくの雨だったが、旧中山道に面した立派な塀と門が目を引いた
玄関を入るとすぐに目に留まる大きな提灯は実際に使用されていたものだ
入り口を入ってすぐの店の間に置かれた本家日誌。本家で勤務する店員が日常や来客情報を記帳していた

 主人が地元に留まった伊勢商人と異なり、近江商人の場合、主は出店した先に住み込み、近江の家は妻に任された。忠兵衛の妻、八重は麻布の仕入れから発送まで取り仕切ったばかりか、店で必要とされるもの一切を整えて送り届けた。地元で採用した若者を仕込んで送り出すのも重要な役目だった。

 八重によって切り盛りされた屋敷には、近江商人の質実な暮らしぶりが見て取れる。やや贅沢な作りになっているのは、忠兵衛の還暦を祝って増築された奥の間と仏間である。 奥の間は10畳の書院造り。縁が廻されて広い庭に面している。つかの間、郷里に戻った忠兵衛はここで寛ぎの時を過ごしたろう。ただし、本人がここを使ったのはわずか2年に過ぎなかった。

八重が几帳面に仕入れ日を記載した桶が並ぶ炊事場。多くの人をもてなすために常ににぎやかだったという
忠兵衛が豊郷に帰ってきた際に寝泊まりしていた2階の部屋はとてもこぢんまりしている(通常は非公開)

 隣り合う仏間も10畳あり、豪華な仏壇が納まっている。忠兵衛は熱心な一向宗(浄土真宗)の門徒だった。近江一帯は中世以来、同宗の盛んな地であり、忠兵衛は阿弥陀仏を厚く信仰するとともに、商売は菩薩の業、そう常々口にした。曰く、商売道の尊さは、売り買いいずれも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの、と。近江商人の〝三方よし〟の精神、売り手によし、買い手によし、世間によしと同義であり、一説に江戸期の中村治兵衛家の家訓とされるこの商人道は、実は初代忠兵衛が初めて言葉にしたものだと、地元の碩学は断言する。

柔らかい光が差す奥の間には初代忠兵衛のレリーフや2代忠兵衛直筆の掛け軸などが飾られている

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