統合される日本の問題構造:次回、「教育」と「リテラシー」へ
テクノロジー覇権の世界でも、エネルギー・モビリティの世界でも、そして今回見てきたヘルスケアの世界でも、日本は一貫して同じパターンにはまり込んでいるように見える。優れた技術はある。現場のオペレーション能力も高い。潤沢とは言えないまでも、長期のコミットが可能な資本もある。それにもかかわらず、国際的なルールメイキングやエコシステム設計の場面で主導権を握れず、産業再編の「仕掛け人」にも「決断する買い手」にもなれない。結果として、世界の大きなゲームが動くたびに、技術と現場だけが疲弊し、リターンは他国のプレーヤーに取られてしまう。
その背景には、共通する構造的な「病巣」が横たわっているのではないか。例えば、投資のリスクとリターンを社会全体で議論し、合意形成していくためのマネーリテラシー。データやAI、デジタルインフラを前提に産業を再設計するためのITリテラシー。選挙や世論だけでなく、規制や制度の中身を自分ごととして考え、行政に提案していく市民リテラシー。そして何より、利害が異なるステークホルダー同士が、感情と利益の対立を超えて議論を通すための「言語のリテラシー」である。
ヘルスケアは、本来、日本が世界をリードできるはずの「最後のフロンティア」だったのかもしれない。世界一の高齢社会という「実験場」で、どの国よりも早く課題に直面したにもかかわらず、その経験値を「輸出可能なモデル」へと昇華できていない現実は、単なる産業政策の遅れでは説明しきれない。そこには、教育とリテラシーの欠如という、もっと根深い問題が影を落としているように思われる。
次回からは、産業の最前線から姿を消しつつある日本の背景にある「教育システム」と「失われた4つのリテラシー」に光を当ててみたい。テクノロジー、エネルギー、モビリティ、ヘルスケアという各戦場で繰り返される「技術で勝って、戦略で負ける」パターンは、どのような人材像と教育の結果として生まれてきたのか。産業の現場で見てきた実感と、家庭・学校・社会の現場で積み重なってきた現実を接続しながら、じっくりと考えていきたい。
To Be Continuedである。
