安青錦の躍進を支える
「女将さん」の存在
そして、大関・安青錦の誕生である。ウクライナ出身の安青錦の師匠、安治川親方(元関脇・安美錦)はロシアのウクライナ侵攻直後の22年3月に同研究科を卒業した。安治川部屋がウクライナからの高校生、安青錦を受け入れたのも同年12月であった。
安治川親方は、実兄も祖父も力士で、師匠、伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)も父の従兄弟だったという相撲一家に育ち、親方稼業のイメージはあったが、親方の関心は伝統的に相撲部屋経営の実務を担っている「女将さん」の今日的な役割であった。そもそも女将さんは大関、横綱昇進の儀式で唯一同席を許される女性であり別格の存在であるが、いまだ論理的に整理されていなかった。
そこで、長く口伝に頼ってきた女将さんの機能、役割を明らかにすべく、歴代の名門部屋の女将さんの活動を丁寧に調べ、その役割を整理し、まとめた。サッカーでいえば1つのクラブの経営において、監督である親方の役割以外を担う場合が多い。稽古を通して相撲に直接的に関わることは親方の専権事項であるが、その周囲、つまり同じ屋根の下に住み、弟子の心理的な支えから経理、後援会対応、渉外、日々の調整まで、多岐にわたる役割が女将さんによって担われていることが改めて浮き彫りになった。
女将さんがマネージャー兼経理部長兼広報部長であったりする様子が浮かぶが、一方で中学卒業後に入門した力士にとっては母親代わりの存在となる。この点はサッカークラブには存在しない機能である。
早稲田大学法学部を卒業し、この研究内容をよく理解した女将さん、杉野森絵莉さんの存在が安治川部屋における安青錦の順調な成長に貢献したのではないかと思う。未成年の日本人の弟子の面倒でも大変だが、ウクライナ人への指導はさらに難易度が上がる。実際、絵莉さんに安青錦の日常生活指導について聞くと、例えば、日本語の習得について、特に外国人が省きがちな助詞を正しく使う点を粘り強く指導しているが、「自分の両親を『ご両親』と言っている」と、外部から指摘されて慌てて指導することもあるそうだ。また、日本文化、すなわちお正月、節分、ひな祭りの意味、お箸の使い方、作法を教えるだけでなく、社会人としてのマナーや領収書の出し方、確定申告の仕方も指導している。このような指導を受けているウクライナ人安青錦が初土俵から負け越すことなく、所要14場所で大関となった。横綱となり、日本の神事を司る日が楽しみである。
相撲は神事としての文化的側面を大切にしながらも、競技として成果を挙げるためには、1場所15日間、年間6場所を戦い抜かねばならない。心身のコンディションを維持しながら結果を残し続ける力士を育て上げるためには、伝統と科学に裏付けられた高度な相撲部屋のマネジメントが求められる。
教え子2人の研究が着実に実践に移されている中で良い波及効果が相撲界に及ぶことを期待したい。
